建築技術支援協会NPO法人化記念シンポジウム報告

パネルディスカッション内容

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〇松村秀一(建築技術支援協会代表)

市民社会と建築技術を結ぶ絆というものを構築してゆく上での心構えだとかあるいは、NPO法人としてこういうことをしなければ駄目なんじゃあないかというようなことの具体的なご意見をいただければ、私どもの活動もより具体性を帯びたものになると思いまして今日このパネルディスカッションを企画しました。

●森本毅郎(ニュースキャスター。テレビなどを通じて、住宅あるいは街、建築業界のありようなどを、市民の視点から報道してきた。建築技術支援協会への鋭い注文が続々と発せられる)

官と民と銀行が一緒になりまして売るときだけは徹底して売り、あとは売り抜けてしまうという、つまり官・民・銀行一体の責任の不在欠陥住宅を平気で作って売るという業界のモラルの不在、法規制を緩和することによってどんどん住宅を売り捌けという景気回復に手を貸そうとする政の責任の不在、こういう様々な責任の不在が今の住宅問題に深刻な影を落としていると思うんです。市民という立場からしますと、そういうことに直面したときその悩みをどこにもっていったらいいのかという、そのもって行き場所が実はないのが大きな問題です。

村上英子(生活デザイナー。日本のインテリアデザイナー界の草分け的存在。生活者に近いところで永年活動してきた経験から、最近の建築のありように厳しい批判が発せられる)

建築は本来、人の暮らしを包むための器です。だから人の生活があって始めて建築という外側の殻ができると思っている。嫁姑の問題ですとか、教育の問題ですとか、プライバシーの確保ですとか、家の中のごじょごじょしたことですとか、非常に大事な問題ですがこれは実は建築で解決できるようなことが相当にあると思っております。建築家は、技術、生活の文化、気候風土、しきたり、長期ビジョン、それから造形美など非常に広範囲な知識の総合芸術を担う人で、もっともロマンのある仕事をする人と思う。最近の建築家は箱作り屋に偏っていすぎるのではないか。建築家というのは非常に大きな目、鳥瞰図のような目が必要であると同時に、非常に小さな下から見上げるような見方の双方が大変に大事だと思っている。

●池田武邦(建築家また都市計画家として、戦後の建築界をリードしてきた存在。霞ヶ関ビル、京王プラザあるいは新宿三井ビルなど1970年代の半ばまでの超高層ビルの設計の分野では第一人者。その後、近代技術文明に対する反省があり、現在は緑と環境に関するNPOを理事長として運営。近代技術の適用は慎重にと説く一方で、地域や民族の文化の伝承の重要性を熱く語る)

私自身が追い求めていた近代合理主義、近代技術文明のありかたそのものに疑問を持ち始め大変悩みました。人間の環境として、一人の生きた人間の生活する環境としてどうあるべきか、そのためには自分自身がどういう価値観をもって生きていくかということがすごく問われているというふうに実感してから、私の近代建築に対する見方が全く変わってしまったのです。超高層ビルは近代技術文明のもっとも進んだ利器ではあるけれども、そこには建築としての文化はまったくないのです。このNPOの活動というのは、今までは何か企業に属していたり、業界に属していた立場で技術をいろいろ考えておられた方、大変な蓄積を持った方が集まって、今度は個人の立場で、NPOとして活動されることに非常に大きな意味があると思ってます。もう一度、建築のあるいは人間の環境はどうあるべきかという原点を是非踏まえて、その原点に立って、その技術をどういうふうに発揮するかという視点をはっきりと捕まえていただければと思っております。技術者は自分の技術がどう世の中に影響するかということをいつも一方で反省しながら技術を使って欲しいのです。

●岩田衛(神奈川大学教授。これまでに様々な新しい構造方式の開発等に長く携わってきたが、とにかく立派なエンジニアになるということを、人生の目標としている。ここでは建築技術支援協会の理事として協会の立場も背負っての参加)

自分を含めて我が国の建築技術者の場合、技術者と言ってきたけれども結局は職能的なプロフェッショナルとしての技術者としてよりも、企業人の立場ということが大切ということでずうっとやってきたではないかという反省がある。今後は、個人としての責任と能力で行動できる、つまり一技術者としての立場で事にあたるというようなことを決心することが大切ではないかと思う。そのような中で市民社会と建築技術を結ぶ絆をつくるためには、一技術者としての経験とか知識に基づいて、ともかくその中で明確な行動をとること、そのためには専門に閉じこもらない、また企業とか技術者仲間の論理で行動しないことが大切。我々は、サーツという仲間を作ってゆくわけですが、その論理でも行動しない。ましてや、自分達が育ってきた業界の論理では行動しないこととしたい。



〇松村秀一 建築技術支援協会という場で、建築技術者が個人として集まって何かをやってゆこうとするときどういうふうに市民社会との接点を求めるのか、あるいはそこでどんな価値のある活動を展開してゆけるのかという点に議論の焦点を移してみたい。
●森本毅郎 欠陥住宅の問題に対して、果たして何人の建築士が、おれたちが実態をさぐってやろうと名乗りをあげたか。専門家のいわば良識というものがある具体的な形になって一つの住宅問題に関わってこないことが非常に悲しい現実です。支援協会がそういう悩みはとりあえず私のところに持ってらっしゃいと相談のノウハウをここから発信することだって不可能ではないじゃあないですか。つまりそういうある具体的な事例に対して、具体的に答えを出してゆくという組織というか道筋が少しづつ作られてくるとその存在意義というものが日常の生活をしている市民というものと技術者を本当に具体的に結び付けてくると思います。困っている市民の生活に目をむける、そこに手を差し伸べることによって始めてNPOといえると思います。NPOには覚悟が必要だと思うんですよ。本当に生活者の立場を考えるんだったら、NPOはいやおうなく対峙しなければならない場合がいっぱい出てくる。だからこそ企業に属さないのでしょう。企業との二足のわらじを反省するわけでしょう。だったらそこのところははっきり覚悟を決めるべきじゃあないかと思います。そうじゃなければ市民との絆なんて言わないほうがいい、むしろ技術伝承会でありますとかあるいは老後の第二の人生設計の場でありますと、その方が解りやすいと僕は思います。もっとも、そんなに大袈裟に対応できるとかできないとか考える前に、どんな話が自分達のところに届いてくるんだろうということを先ずみることから始めたらどうかという気がします。
NPOに参加された皆さん方が街へ出て街の形をもっとご覧になったらどうですか。
人間のいろんな欲望というものが実に素直に満たされる、高層ビルを見たいときにはそれがある、静かな暮らしをしたいときにはそれもあるという、そういう街を造るためにはどうしたらよいかというような視点で、私は街の見学会をやってもらいたいと思います。
●池田武邦 このNPOは経験を積んだ人が伝承しようという姿勢ですから、うんと自信を持って伝えて欲しいということが第一ですね。それから今まで技術というのはどんどん専門分化して、それぞれの分野で深い技術を持った人が生まれたのですが、このNPOはそういう人たちが集まるからネットワークを組むことによって非常におおきなパワーになる。
森本さんがおっしゃったように、自分の家を建てたが欠陥があってどこにも相談ができないでいるような人から思い切って相談を受け止めるということをやったほうがいいと思う。ともかく具体的に行動して受け止めて、それを解決するためにいろんな議論をして、この問題はあの人に聞こうなどと具体的にストラグルするとそこから新しい解決が出るし、またそういう具体例を蓄積することによって、このNPOが社会にちゃんと確立するのではないか。今こういう建築界の中のNPOはここ1つしかない。この1つがどういう風にこれから社会に定着するかということはものすごく影響が大きいことです。そいう意味で是非、頑張って欲しい。
また技術を使うときは、いかに優れた技術であっても心を持って使って欲しい。精神なき技術が文明社会に横行していますが、そこは技術者として、心のある技術とは何かということを是非考えて欲しい。
●村上英子 今の住宅設備機器のもっとも新しいものを使いそしてコンピューターなんかも入れ国際的にも通用するような住宅であって、日本の気候風土というものの上に建っているということを忘れない住宅にすべきと思う。外国では住が一番先なんですよ。住食衣という順番です。日本の場合は住はほとんどあきらめのムードがあります。
中学生や高校生に住の教育は本当にないと思うんです。技術ばかりではなくて、考え方も含めてそういう教育をしたほうがいいんじゃあないか。一般市民の住についての常識がなさすぎると思う。それが欠陥住宅を買ったりそういうようなことに繋がると思うので、少しでも底辺のレベルをアップするセミナーを開催するとかテレビ番組に出演するとかして、少しでも市民の意識を高めるようなことをなさったらどうかと思う。
●岩田 衛 いろんなNPOをわれわれ以外にも、日本の中に今後いっぱいつくる。我々のノウハウを提供するなどの協力をしてともかくいっぱいつくってゆく。もっともそれを待っていたら時間がかかってしまうので、その間に一技術者としてできることからやる。市民セミナー等で自分達の貯えてきた知識や経験をふまえて、ご指摘されているような問題などできるだけみんなに伝えてゆくことを一生懸命やるというところから手を付けてゆければと思います。人間中心への反省や自然への回帰などいろいろあるのですが、とはいっても、そういう反省を踏まえて問題点を解決してゆくのもテクノロジーであると信じたい。ただそのためには、周辺の技術をも学んでゆかなければならないし、地球環境問題ということに対しても、倫理感も含めて理解し、その倫理の欠如に対して一緒になってそれを作り上げてゆくということも必要です。