超高層ビル崩壊  - 時代認識変革への糸口として -
9月11日、世界中の殆どの人が見たであろう衝撃的なWTC崩壊のTVシーンは未だ、脳裏を去らない。先端の建築技術を集積した超高層ビルに、これもまた最新技術の結晶であるジェット航空機を、異文化間の現代社会的軋轢が激突させたという、矛盾の実証のような出来事と言える。現代建築技術を業とする我々にとっては特に、心に打撃を受けた感がある。この歴史的事件に関して、会員の建築各部門の方に、その実感を専門に拘らず吐露していただくようお願いした。

ワールドトレードセンターを想う・・・・・阿部市郎
 1969年夏、私は東工大教授の後藤一雄先生を団長とする「米国の住宅産業視察団」に社命で参加して、アメリカ中西部を中心に、住宅企業として有名なナショナルホームズ等のパネル工場やモジュラーハウスの工場、更に興味津々のモービルホームの工場やホームショーを約三週間の予定で見学してまわっていた。
 初めての訪米で住宅のプレファブリケーションの典型を見て、強い刺激を受けて半ば興奮状態であった。この旅がまた、私の技術者人生の後半のライフワークになった、ツーバイフォー工法への開眼の旅でもあった。
 旅の途次に、デトロイト郊外のトロイという町にあったミノル山崎の設計事務所を訪問する機会があった。ちょうどワールドトレードセンターの工事が躯体の組み立てに入った所で、事務所には大きなツインタワーの模型と1/5位の外壁フレームの部分模型があり、計画の詳しい説明を受けた。TVで鳥篭のようなと解説された合理的で軽快な構造は、以前霞ヶ関ビルの見学で見た構造と比較して驚異であった。
 この見学で聞いた事務所の組織についても、デザイナーとエンジニアの職能・身分が明確に分れ、エンジニアはベテランで給料も高く事務所の核をなしていること、デザイナーは徒弟修業的で給料も安く出入りが激しいこと、しかし、良家の子女が多く、名声をしたって集まってくるので、スポーツカーなどを操り給料はあまり気にしていない等々、そして、プレゼンテーションの重要性、下書きのスケッチの一枚も捨てることはなく、これらは全て、プレゼンテーションの時の記録になることなど、強い印象を受けた。このときの印象は、後年社内ベンチャーで設計会社ユーアンドエー研究所を創設するときに役立った。
 旅の最終行程がニューヨークで、丁度ワールドセンターの工事は5〜6階位が建ちあがったところで、ニューヨーク市の港湾局で詳細説明を受けた後、工事現場を見学することが出来た。
 後年、ニューヨークを訪問して陽光に輝くツインタワーを仰ぐたびに、又ニューヨークにくることが出来たと感慨を憶える、まことに象徴的な建物であった。
 テレビを見ていて、航空機が突っ込んだ瞬間に、これはテロだと思ったが、被害階の上階は大変だが、まさか積み木崩しのように下まで崩壊するとは予測もつかなかった。
 一瞬、思考が止まったような状態に落ち込んだ。現場で救助活動をしていた人々も、ビルの住人も、火災の災害を考えて活動していたであろうが、崩壊は危惧していなかったのではないだろうか、それが今回の被害を更に大災害としてしまったと思われる。
 勿論、テロの防止が大前提であるが、予想もつかないような凶暴な外力を受けたわけだが、建物側の崩壊原因の究明と今後の超高層ビルの在り方について、技術的検討がなされなければならないとおもわれる。
 最後に犠牲になった方々とそのご家族に追悼の祈りを捧げるものである。

WTCへの767の衝突に思う・・・・・安部重孝
 2001年9月11日夜、サーツ企画運営委員会のあとの“お酒”でほろ酔い気味に、我が家のテレビをつけて間もなく、WTCへのジャンボ機衝突、そしてWTCの崩壊に目はくぎ付けとなった。
 まず思い出したのは、JSCA日米のサンフランシスコの会議に出席した後、和田先生ともニューヨークでお会いし、WTCの最上階で食事をした時のもう2度と見ることが出来ない室内と、外部の展望のイメージでした。
 WTCは昼間人口5万人の国際都市で、その都市が崩壊し、その1割の5000人の人が一瞬にして亡くなった事と、阪神淡路震災で6000人の方が犠牲となったことが結びつき、まさに都市災害である。WTCの合理的な構造―外周構造とメタルタッチ、軽量床構造そしてダンパー―は日本の超高層の構造設計者に、地震大国の日本との差があるとは言え、少なからぬ影響を与えたことは確かであろう。構造物を合理的に設計するため、特に生産コストの低減を目的に、部材接合部の簡易化が求められた構造物の冗長性が失われる傾向があるが、冗長性には配慮したいものである。
 性能設計・目標性能の設定には主として自然災害が対象となっているが、英国のマンションのガス爆発の災害なども含め、人為災害を何処まで対象とするかの課題も投げかけられたと思う。火災は部材の耐力を小さくし、荷重に対し耐力を確認する構造設計として耐火設計は構造設計の対応すべき分野としての認識をさらに深めさせた。

WTCビル寸想・・・・・太田統士
 栄枯盛衰・生々流転は世の常であるとは云え、9月11日のテレビに映ったWTCビルの崩壊はまったく悪夢を見る思いでした。それはサーツの企画運営委員会から帰り、いつものように10時のニュースのスイッチを入れた途端のことでした。
 初めてWTCビルに接触したのは1968年のことで、東大の西忠雄先生(故人)が団長となられたプレキャスト・コンクリート調査のミッションに参加し、ついでに社用の調査も兼ねた初の海外出張の時でした。一行とはボストンで別れ最初に訪れたのが、当時の富士製鉄から紹介されたWTCビルの工事現場でした。
 昭和30年代の後半、アメリカ、カナダの日系人の活躍が喧伝されていて、中でも彫刻のイサム・ノグチ氏、建築のミノル・ヤマサキは当時の若手から人気を博していました。
 1968年7月24日のWTCビルは写真にあるとおりまだ根伐中で、山止め兼地下外周壁の連壁をニューヨーク特有の岩盤にアースアンカー工法で施工すると共に、基礎工事を進めていました。メモも四散していて、また記憶も大分薄れていますが、案内はポートオーソリティー(港湾局)のMr.Grossmanというエンジニアーで、メモに残っている数字は、建設場所が海抜2〜3フィートで、連壁厚は最大で3フィート、高さは最深部46フィートを意味していたかと思い出しています。
 その後、別の調査を終え、WTCビルの鉄骨製作(一部分)が予定されていたロスの鉄骨ファブStanray社を訪問。この時代アメリカの鋼材は品質の割にコスト高であったので、材質が良くしかも廉価な日本の鋼材が大量に輸入されていました。このStanray社も富士製鉄の鋼材を使用していて、5・1/4インチから20mmまでのSM36A鋼板でビルトアップHやボックスコラムの製作をやっていました。規模的には中程度の工場で、標準的鉄骨コストは建方費(クレーンワーク等)を含み$360/ショート・トンと云うことで、当時の為替レイト360円/$で換算して14.4万円/トン、日本とあまり変わらない感じでした。余計なことですが景気低迷下の我が国の零細ファブでは、今もこの程度の金額でやっていることに、この業種のポテンシャルの低さに思いを馳せざるを得ません。
 この工場を訪れた時点(8月1日)では、まだWTCビルの鉄骨製作は始まっていませんでしたが、11月にパナマ運河経由で出荷し、翌1969年1月より建方に入る予定だと、担当者が誇らしげに語っていたのが昨日のように思い出せます。
 何と云っても我々の世代にとって、WTCビルは20世紀の自由経済社会のシンボルであったと思いますし、これからも瞼の奥に残像が続いて行くだろうと云う気がしています。1991年7月に撮ったシザー・ペリ設計のWFC(ワールド ファイナンシャル センター)のバックに聳えるWTCビルを掲げ、追悼の意を表する次第です。

’91の外観写真

現場:基礎工事中

崩壊の教訓をどう生かすか・・・・・神田 順
 その時多くの人が、テレビを見ていて、釘付けになったことと思う。私も9月11日、午後11時過ぎに帰宅し、その後、午前2時まで繰り返し、崩壊の画面からのがれられなかった。翌日の研究室においては、仲間とのメールや海外のホームページの情報をもとに、頭を整理して、自分なりの理解を試みた。
 それにしても、5万人の800,000屬了纏場が、瞬時に消えるということがあるという現実はショックである。重力エネルギーのすさまじさを見た。高層ビルの進行性破壊は、かつてイギリスで上層階のベランダが落ちて、各階のベランダを順に潰してしまった例があったことを思った。そして、つい3ヶ月ほどまえに、アメリカ、ニューポート・ビーチでの国際構造安全信頼性会議(ICOSSAR)の招待講演で聞いた、「災害の設計(Disasters by Design)」の内容を思い起こした。
 まさか、民間航空機の衝突が火災を発生して超高層ビルの崩落を招くとは、想像もしなかった。地震で倒壊することはありうるとは、思っていたし、今も思っている。兵庫県南部地震で超高層ビルの倒壊がなかったのは、幸運であったとさえ言いうる。構造設計者は、もちろん安全な超高層ビルを設計しているし、それはエンジニアとしての使命でもある。しかし、通常の設計よりもっと安全に、技術的にはできるのに、普通はそうはしない。
 日本の場合、2000年6月に出た基準法の告示で、超高層建築物の設計荷重が規定されており、それを上回る設計は、住宅等で品確法の耐震等級を上げる時を除いて、あまりない。耐震等級で、地震力を1.5倍すれば、どんな地震でも絶対壊れないといえるか。否である。安全な建物を設計するといっても、通常に常識の線に沿って安全にしているということであり、逆にいえば、壊れる可能性を設計しているわけである。すなわち「災害を設計している」とも言えるわけだ。もっと安全にしようとしても、建築主が法律ぎりぎりで良いというから、そうしているというのは、ある意味で、エンジニアの言い逃れとも言える。危険な建物を世の中に出したくないのなら、「法律ぎりぎりの設計は、私はやりません」と言っても良い。そう言うことをいうと、仕事が来ないと言う人がいる。しかし、本当にそうであろうか。少しくらい高くても、もっと安全なもので、我々の都市を作ろうという人がいても良い。そういう建築主は少数派であっても、いるとすれば、少数派のエンジニアが、「自分の考えで、十分な安全性をもった建物しか設計しません」といっても、成り立つ可能性はあるのではないか。
 ニューヨークのWTCビルの事故(災害)に学ぶといっても、ジャンボジェットの衝突を設計条件にしようとは考えない。そこまで設計で対応すると、隕石に対しても設計することになろうし、他にお金の使い道があると思う。それでも、ヘリコプターの衝突くらいでは、大丈夫な設計を求めても良かろう。
 わが国の構造設計者は、法律により、社会通念により、過保護状態にある。横並びで、画一で、みんな一緒だから、設計用荷重の大きさを決めることに、自らの判断というものがほとんどない。本来のエンジニアとして、プロとしての役割を果しているのだろうか。衝突や火災だけを問題にするのではない。しかし、想像を絶することが起きた時、それを教訓として、「エンジニアは安全性に対して、自ら責任ある判断をする」そういう状況が来て欲しい。エンジニアであれば、そのための努力をして欲しい。学会が、倒壊のメカニズムを解明するのに努力するのは必要である。アメリカでも、日本でも解釈を公にして議論したら良い。構造エンジニアも、飛来物の衝突にはどうするか、火災の条件はどこまで考えるべきか、大いに発言し議論して欲しい。建築基準法に規定されていない部分なのだからこそ、自由に議論することが、技術をより、意味のあるものにすると思う。

想定外の事態の際の事後行動計画・・・・・ 城戸義雄
 私も多くの建築関係者と同じように、TVでWTCの崩壊するシーンを繰り返し感慨をもって眺め、WTCも想定以上の荷重により、計算通りに崩壊した、との思いを持った。どんな設計をしても「想定外」の事態は起こる、その時構造物は潰れる、これは、我々が自然災害で常に思い知らされてきたことだ。
 以前建設省で大震災を想定した震後対策総合プロジェクトに参画したことがある。大地震発生の際、最悪の事態として建物も都市インフラも相当なダメージをうけ、正常機能を維持することが不可能な状態が起こるという前提に立ち、2次災害を最小限に食い止め速やかに機能を回復するための事後行動計画を作ることである。その時、何が失われることが問題か、何をどのような優先順位で守るか、という価値判断が問題である。WTCのごとく単独でもちょっとした都市規模の集積をもつ建築物にあっては、通常の防災避難計画だけではなく、建物崩壊に至る被害の段階に応じた事後行動計画を持ち、利用者が日頃からそれを理解しておくことが必要と思われる。
 また、非常時だけ機能するシステムに頼るのは危険であり、無駄でもある。平常利用されているシステムがそのまま非常時対策のシステムになるのが望ましい。そのためには平常の機能を前提に合理性を追及するだけでなく、全ての面でゆとりある設計が必要だろう。

「超高層ビル崩壊」と防災計画・・・・・ 向野元昭 
 1969年秋、初めてニューヨークに行った時、ワールドトレードセンターの工事現場を訪問した。折から、地下部分の掘削の途中で、巨大な穴が見渡せたが、その空間を水平に太いチューブが横切っていた。下水道管にしてはあまりに大きいので不思議に思ったところ、そこを通っていた地下鉄が掘り出されて、露出してきたので仮に支持していてあの中を電車が走っているとのことで、さすがにアメリカは規模が大きいものだと感心したことを思い出す。
 その後、日本にも多くの超高層ビルが建ち規模も大きくなっていったが、70年代のニューヨークのWTCの延べ面積100万平方メートルを上回ることはなかった。
 高層ビルの防災計画のコンセプトを語るときこの建物はよく引き合いに出された。また、経済性の追求は、例えばセンターコアによる高いレンタブル比、エレベーターのスカイロビー方式とか両面扉など、計画上で他に影響を与えた技法も数多いと思う。
 高層ビルの火災時の避難は、計画の前提として火災は同時に2ヶ所以上では発生せず、避難も火災階の直上階と直下階を想定している。今回の事件は同時に複数階に大量の可燃物が投入され、構造体を守るはずの耐火被覆も衝撃ではがれおちたようにみえる。要するに安全を担保すべく設定した大前提が全て無視されてしまっている。
 安全のルールは世界共通で誰もが従うものと考えていたところへ、全く別のルールの人が突っ込んできたことに驚きを感じる。しかし、安全を取巻く環境と安全のレベルは刻々と変化する。これも現実として受け止め安心して住める都市環境を作らなくてはならない。

「設計上想定されていた外力、されて無かった外力」・・・・・菅野 忠
 WTCの崩壊後、日本で問われた質問は、次の2点である。「WTCおよび周辺建物が、どのようなメカニズムで崩壊したか?」 もう一つは、「日本の超高層は、航空機が衝突したらどうなるか?」であろう。この2つの質問に対して、種々の方々が、それぞれの意見を述べられているので、ここでは省略するが、崩壊メカニズムについて一つだけ注目しておきたい点は、航空機の衝突による力とその後の火災により、ある層の床システム(トラス梁が柱にピン接合されていた)が落下し始めると、その下の層またその下の層と、次々と荷重が増えていき床を支えているピンがはずれていく現象を生じたことである。このような、現象を“Progressive Collapse”と呼ぶ。この言葉は、昔英国の高層マンションで、最上階でのガス爆発で梁が落下し、次々と下層に伝わり、ついに全層に波及したことから名付けられ、BS規準には、“Progressive Collapse”を防止する条文が付け加えられた。
 もう一つの質問「日本の超高層は、航空機が衝突したらどうなるか?」に対する答えとして、日本の建物は厳しい耐震設計をしてあるから、あのような崩壊は起こらない。日本の大梁は柱と剛接しており、WTCのようにピン接合でないので大丈夫と言った答えを何度か聞いたが、なんだか、その場しのぎの答えとしか思えない。実際、WTCの高さになると地震力より風荷重(NYの風荷重は東京よりやや小さいが)の方が大きく、そのまま、日本に持って来ても建築許可はおりるはずだからである。
 これらの点について、設計上考慮した外力と考慮してない外力の観点から少し考えてみることにする。 建物の構造設計の出発点は、その建物に作用する外力を特定することから始まる(日本の場合は、建築基準法が整備されているので、この部分をあまり深く考えない設計者が多い)。そして、その外力に対して、安全な構造物を設計していくこととなる。     
 近年の解析技術の発達にも助けられて、与えられた外力に対しては、合理的で経済的な建物を設計する技術は飛躍的に進歩した。一方、考慮されなかった外力に対しては無防備に成っていく傾向がある。
 三菱重工の爆弾テロのときには、超高層ビルは、どの程度の爆弾に持つか? 伊方の原子力発電所近くで、ヘリコプターが墜落したときには、原発に航空機が衝突しても大丈夫か? ガス爆発が起きるとこのスラブ、戸境壁は大丈夫か? このように、一般の人は、設計上考慮されている外力かどうかなど、全く関係なくあらゆる事象に対して安全性を求めてくる。
 現在の設計法では、考慮されてない事故等の外力がいくつもあることを認識して、設計上の配慮をしておく必要がある。性能設計の時代に入り、設計上考慮した外力に対して安全性を増すことも良いが、考慮されていない外力に対する配慮の方が重要な気がしてならない。

「超高層ビル崩壊」で学んだ事・・・・・矢野克巳
 この度の崩壊事故の経過を見ると、日本で起きるであろう地震災害対策の問題点を示しているように思いました。
1 大規模建築はリスクが多い
 ペンタゴンでは死者数百人、WTCでは1機当り死者数千人、若し郊外住宅地なら数十人、大規模建築の危険性、更に超高層建築が崩壊した場合の危険性は、低層建築の100倍に達することを示している。地震も都市の規模が大きいほど被害は加速度的に大きくなる。
2 災害は複合すると被害が急激に増える
 飛行機が直接破壊したのは一部でした。しかし火災が起きると崩壊に至りました。地震でも、災害が重なる対応策は通常とられていません。火災源は一つ、地震と火災は同時でない、地震と停電は同時でない、等々の仮定で設計されている。消火に用いる水槽は振動を感知すると自動的に送水停止となる。しかし、居住者は復旧する手段を知らない。地震ではそうはならない事がわかっているのに対策を講じていない。
3 ビルの機能保持がいかに重要かを示している。
 人命の大切さは言うまでも無いが、例え人命被害が軽微であっても、主要な建築物の機能保持が保てないと、その国の経済、政治活動は停止する。東京で地震が起きると日本経済は大被害を受ける。にもかかわらず、地方都市と同じレベルの防災対策をしている。
建築界は「安全と安心」をうたい出しました。しかし、防災においては、安全は先ず先ずですが、安心を忘れた議論が多すぎるように思います。このような事を放置していていいのでしょうか?

技術者の役割・・・・・和田 章
 今までにも、ロスアンゼルスの超高層建築の火災はあったし、九州大学の計算センターの工事中の建築物に飛行機がぶつかったこともあった。それぞれ、被害は部分的であり、その後は復旧している。この度の同時テロでも、航空機は建物の中に入ってしまったが、そのまま建物は立ち続けていたし、火災が鎮火すれば、復旧されるものだと簡単に考えていた。まさか、全体が崩壊してしまうとは考えてもいなかった。
 誰が決めたと明確に言えないものも含め、技術には相場ができ、皆はそれにしたがって進んでいく。毎年、交通事故による死者は1万人近くに上るにもかかわらず、自動車は作られ、高速道路も作られる。ニューヨークだけのことではなく世界の大都市には超高層建築は次々と建てられている。しかし、千年以上昔の中国・西安の都市は立派な壁で囲まれていた。スペインのトレド等、昔の都市も周辺が川や壁で囲まれ都市としての安全性を確保していた。この度のように、外敵が都市や建物を襲うことそのものはそれほど新しいことではない。ミサイル防衛によって国土が守られ、都市や建物の設計には地震や強風だけを考えればよいというのは簡単すぎたのかもしれない。
 最も残念なのは、建築は人々の生活を守るシェルターであったはずなのに、その建物の崩落によって多くの人々が亡くなってしまったことである。航空燃料を満載した航空機が全速力でぶつかることは確かに想定外であるが、悔しいというか、非常に寂しくなる事件である。
 個人的には、高さが400m、500mとますます高くなる超高層建築、スパンが2000mにも達する吊り橋の建設、ジェット旅客機により適当な費用で世界中どこでも旅行することができ、最高の性能のパソコンを持ち歩き、どこにいてもインターネットに繋ぐことができるなど、20世紀が築いた技術や社会は素晴らしいと思うし、どちらかというと好きである。しかし、この度の事件を契機に、これらの技術によって世界が同じ方向に進んでいくことが人類のために本当に幸せなことなのかと疑いの気持ちが湧いてくる。
 人間の生殖能力が知らずしらずのうちに減じてくるダイオキシンの問題のように、世界中が情報機器によって繋がれ、いつでも簡単に行き来できるようになることが、それぞれの国の個性や文化まで同じにしてしまうのではないかという心配がある。アラブの社会ではイスラム教が信仰され、東アジアでは仏教が、西欧ではキリスト教が信仰され、それぞれその地の風土に合わせた暮らし方をしていけば良いのであって、異なった状態でいられる状態を保つ方が重要に思う。
 私を含め、技術者は目の前の課題に対しより良い合理的な答えを探し求め、進んだ技術を追い求めていく。前提条件を見直すことよりも、先に進むことに力が入る。世界貿易センターは21世紀の今に建設されても世界の建築関係者をアッと言わせるだけの先端的な超高層建築だと思う。風による水平力は外殻のチューブ架構に負担させ、コアーの柱梁は鉛直荷重だけに対して設計し、外殻チューブの面外方向の安定性は床スラブの平面剛性に期待して確保する。これ以上合理的な設計はあり得ないように思う。しかし、ほとんど自由落下のようにして崩落してしまった。
 グローバリズムにつながる合理主義が万能とはいえそうにない。このことを知った今、それをよすがに生きてきた技術者の一人として、心は強く揺らぐ。これからは多様な方向を見つめながら、技術者の果たすべき新しい役割を見極めたい。