「つくるまえにこわせ」 ・・・・・伊藤誠三


 いきなりなんとも刺激的な表題であるが,これは少し前,日本経済新聞夕刊の「明日への話題」と言うコラム欄に掲載された分子生物学者,福岡伸一氏の文のタイトルである.不意を突かれた思いで読んだのだが,目からうろこの思いもした.建築業界の今を説明しているのではあるまいか,と.話のあらましを少し長くなるが,原文を引用しながら要約すると以下のようになる.
 「20世紀半ばより進展してきた分子生物学は生命のミクロな分子群が作られる仕組みを追いかけ,解明してきたのだが,最近になって明らかになってきたことは.細胞はつくる仕組みよりも,こわす仕組みの方をずっとずっと大切にしており,そのやり方は精妙で,キャパシティも大きいということである.細胞の内部空間は限られているので壊さなければ新しいものは作り出せない.先ず既存の分子を壊して場所を作り,エネルギーを造って初めて新しい分子を合成できる.新しい分子は作られたとたんに分解され始める.溜めること,とどめることは生命にとって破滅を意味する.止まることなくそれを分解し,排除し続けながら更新してゆくこと.それが生きているということなのである.つまり,それまでつくる仕組みばかりに目を奪われてきたが,存続の為にはこわす仕組みが大切なのだと分かって来たのだ.」
 この文脈,表現をそのまま辿って,現在の建築の状況が説明できるのではあるまいか.建築物は竣工後,直ちに壊れ始めるとまでは言わないが,汚損は進行しはじめ,継続した維持管理が必要なのは言うまでもない.現況ではこの4,50年来,開発,再開発,高層化,工業化工法等々,量的拡充を目指して急速に建設することに専念してきたお陰で,すでに住戸数はすでに充足され,都市部では業務床面積も飽和状態にある.いまや新築量も減少し,経済活動の収縮の一因にもなっている.しかも最近になって, 耐震力の強化,省エネルギー化,技術革新による設備システムの更新,アスベスト問題のような公害,環境対策等々,更新すべき要因は日に日に表面化してきているが,空地は限られ,「壊さなければ新しいものは作り出せない」状況にもなってきている.
 建築は言うまでもなく,人の生活や社会活動の器であり,場である.生活や社会活動が健全に向上,存続してゆくためにはそれに対応して行く建築が必要なのであるが,その生活,或いは社会活動自体はどうなっているであろうか.業務床について考えてみても,IT化の進展や業態の多様化につれ,運営組織も変化し,経済効率も考慮すると旧態の器には納まりにくくなっている.建設資金の面では当初投資額が40年を過ぎると,減価償却が進み,更に高い投資効率を求めた更新の要求が高まる.
 住宅関連ではどうか.人の一般生活も大きな変化をしているようだ.改めて家族のライフスタイル或いはライフサイクルを観察してみると,以前には様々な計画の基礎として考えられた標準世帯というものは少子化と共に分解し,共働き,単身赴任,介護対応等々,対応すべき空間もますます多様化している.出生から親による養育期,教育期を過ごし,30歳前後で結婚,独立して以降も,新しい世代の養育,教育とほぼ10年毎のサイクルがあり,その世代毎の流動性も高まっており,その全てが一形式の家に相応しく収まることは殆ど無い. このような現代人の生活とその住居が相応しく対応してゆくためには10年毎に生活空間をヤドカリのように変えてゆくか,或いは部分的にせよ,更新してゆくしかない.そして最終,漸く定住年代にいたって住むことの出来る期間は約3,40年程度であろう.それを経済的に準備の出来た人は自分の為に新築したいと思うだろうし,そうなると,それは既存のものを解体せねばならないが,新築するものも次の解体周期を考慮すると,3,40年を耐用年数とするのが適当だろうし,解体撤去の仕組みを内包しておいた方が良いかもしれない.既存の建物に住んでゆく場合も10年毎の更新が必要である.建築が群として健全に存続して行くためには,個々の建物の堅牢さのみならず,それはせいぜい3,40年でよいのだが,屋移り自由なシステムとともに,解体更新を考慮した考え方が必要と思われる.