戦後建築技術史の証言「プレストレストコンクリート技術の進展」・・・・今津賀昭

●PC技術の始まり
 1880年代後半に発明されたプレストレストコンクリートの原理は、1928年フランス人フレシネ(E.Freyssinet)が実用化した。わが国では戦中の1943年頃鉄道技術研究所(現鉄道総合研究所)で二杉巌氏によって研究が始められた。戦後は、1949年から1950年にかけて商工省(現経済産業省)に「鋼弦コンクリート委員会」が発足する。
 1951年に2つの製品が製造された。石川県七尾市の旧軍需工場施設が国土再建のためプレテンション製品の製造工場に用途変更され、そこで生産したPC橋(長生橋(七尾市)スパン3.6m)とPC枕木(国鉄(現「JR」)発注)である。フランスに四半世紀遅れ、ようやくわが国も自前でPC構造物を実現させた。
●フレシネ工法のこと
 続けてポストテンション工法が始まるが、この時期はフレシネの技術が多く利用された。
 フレシネ定着体はフレシネコーンと称するオスとメスの組み合わせで構成され、ともに小型の高強度モルタル製品である。
 緊張作業用ジャッキは人力による水圧ポンプで電源は不要であったが体力が必要だった。水圧ポンプによるプレストレス導入作業は構造物に生命を吹き込んでいる実感がした。テンドンは、7φPC鋼線12本の構成として50トンを導入できた。大きくてグロテスクな円錐台形状のジャッキをレバーブロックで緊張端位置に合わせて吊り下げ、その胴表面に6ヶの鋼製楔で2本のPC鋼線を、ハンマーでたたいて仮止めする。緊張するにしたがってピシピシと音を発しながら、楔が効いてPC鋼線はしっかりとフレシネジャッキ本体に結合される。緊張前の楔の嵌合わせ不良や、ジャッキの軸とケーブル配線軸との不一致があると、PC鋼線とフレシネジャッキとの結合がとけ、PC鋼線が反対側に矢を放つように飛び出す。梁両端で対で緊張する場合に、悪い仕事は相手方に危害を及ぼす。鋼線の滑動事故に備えて互いにテンドンの延長線を避けた。伸びを計測するときもジャッキの側面からアクセスした。緊張作業は正に緊張感を伴った。導入緊張力に達すると、ジャッキのバルブ切替え操作をし、オスコーンをメスコーンに押込み定着する。ここも滑りが危惧されPC鋼線との接触部に鉄粉が付着されていた。フレシネ工法こそPCの原点であった。
●PC鋼棒のこと
 PC鋼棒によるポストテンションは、得られる緊張力は大きくないが、配置の簡便さ、特許がなく、自由に使用できた。緊張はセンターホールジャッキを用い、手動または電動の油圧ポンプにて導入したが、ジャッキとPC鋼棒はカップラーによるネジ接合であり、ねじ込み長ささえ間違えなければ緊張時に飛び出す恐れはまずない(旧4種PC鋼棒の試作時期の破断による飛び出し例を六車煕博士が報告されているが)。住友電工などがPC鋼棒の国産化を推進しその条件は整ったが、PC専業サブコン以外の利用は少なかった。
●建築分野のPC
 その後もPC技術は土木分野を中心に利用されるが、建築関連では国鉄(現JR)の駅施設での利用が始まった。
 建築家の中には市街地商業建築物で挑戦する者が現れた。「銀座三愛ビル」(日建設計)は、RCシリンダーコアにドーナッツ状のスラブを持ち出し、その外壁の全面がガラス張り仕上という課題に、構造技術者や施工技術者たちはコンピュータシュミレーションの手法を持たずに取り組んだ。
 1960年代、PCは多くの建築家たちの造形本能を刺激した。PC梁は比較的小さな梁背で大スパンが可能であり、型枠形状の工夫によってウェブの贅肉を絞った形状とすることでさらに軽量となる。坂倉順三先生の高速道路料金所(トールゲート)は、シンプルな中に、部材分割(1部材約10トン)やケーブル配線の自在性(スパンに応じて増減できる)などプレキャスト・プレストレスト構造の本質をよく示す造形である。
 1965年頃から始まった宗教建築大石寺伽藍(連合設計社。構造設計:青木繁研究室)ではPCによる斬新な造形が試みられた。
 高度成長期の設備投資の対象としての工場施設としても優れたPC建築が誕生した。
 筆者は工場施設のプレテンション床の設計を担当した。12mのスパンをWTスラブで構成する簡単なものだが、階段室部のスパン9mのものを並列に置いた結果、プレストレスによる最大反りの位置がずれてしまいモルタルによるレベルの調整で現場に迷惑をかけた。
●理論の進展とプロジェクト展開
 PC構造物は、設計と製造と施工の総合的・連続的イメージが形成されないと着手できない。製造、運搬、建方の各施工段階に沿った応力チェックなど設計と施工の一体不可分性が強い。坂 静雄博士は、「プレストレストコンクリート」(朝倉書店)を著して、建築分野で初めてPC技術の設計と施工の全領域を詳述された。
 RC構造も鋼構造も許容応力度設計であった当時、PC構造設計は当初から、部材レベルではあるがひび割れ安全度と曲げ破壊安全度のチェックを取り入れ先見的であった。
 1960年台後半頃から盛んとなったボーリング場は40m弱の大スパンと床の平滑性、剛性が要求され、場所打ポストテンションのPC梁(スパン38m、梁背2m。導入時プレストレス800トンという例が一般)に多用された。35N級の場所打コンクリート、PCケーブル配線、緊張、グラウトなどがあちこちで行われPC技術が一般化する兆しがうかがえたがボーリングブームの終焉とともに広く定着をみることはなかった。
 1970年代に入ると、プレキャストコンクリート(PCa)造のRC集合住宅が多用され、PCとその生産プロセスが重複していることから、多くのPC技術者がPCaに移転し、PCは停滞するかに思われたが、SDGの渡辺邦夫代表のような優れた構造デザイナーが構造とデザインを融合させ、多くの優れたPC建築を生み出してゆく。氏のPC造トラス架構は、工法と形態の組み合わせと新しい展開を示した。1990年台初頭は各地に大型PC部材を用いた流通センターが誕生した。同様なPC架構は2002年ワールドカップの競技場施設として日韓両国で採用された。
●今後の期待
 PCは、存在応力に従って断面の中立軸を変動させる生き物のような構造である。たとえ一時の荷重超過でひび割れが生じても、除荷後は閉じる。これはRCと大きく異なるPCの利点である。プレストレス導入時に最大の支圧力が加わり、コンクリート強度が施工段階でチェックされる。クリープやリラクゼーションを考慮して構造物の最終段階を読み込み済である。PC接合はプレキャストコンクリート部品の優れた部材接合の手段であり、工夫次第で解体容易性も計画できる。使用する資材はRCの場合の2/3程度まで低減できる。RC、PRC、PCとコンクリート系構造物を連続的に捉える視点も大切に思えるが、アンボンドケーブル、アフターボンドケーブル、建築向小型定着体の開発などこれを支援する要素技術の進展も目覚しい。アウトケーブル架構、ハイブリッド接合など新しい研究開発課題も豊富である。下写真は今津等が行ったCFT柱とPCaブロックの接合部実験で、柱にテンドンを貫通させず柱外圧接するもの。

 PCは設計、生産設計、製造、搬送、現場施工と一貫して理解すべきもので、建築教育の場でトータルなカリキュラムで学習させることができる。これらのPCのすぐれた特性は、21世紀の資源循環型社会における建築物に求められる要素であり、PC技術も次の世代に確かに伝えるべきものの一つと思う。