「構造設計者の反省」・・・・・矢野克巳


 和田先生は3脚の椅子と4脚の椅子の脚にかかる力についてのハイマンの著を引用され、構造計算の想定と実応力との違いを考えろと言われています。ASCE大会でシカゴの構造設計者が超高層建築の柱筋応力を施工段階から竣工後まで計測し、応力は+から−まで大きく変化していることを報告していました。この技術者の姿勢に私は大変感心し、敬意をこめて拍手しました。 私の反省を幾つか

1. 豊岡市民病院
  円形病院を入社2年目1954年に担当しました。放射状の壁架構と円形の内廊下が主耐震要素です。外壁柱は見付け25cmのSRC造とし、中央ホール屋根はS造ドームとしました。上司は「坂静雄先生に診て頂け」との命です。先生のご意見は「いいでしょう、しかし、ドームはRCシェルにしたいですね」でした。脱帽です。しかし、そのまま着工となりました。竣工後に応力解析に誤りがあることに気付きました。斜め方向の応力分担はcosでなく、cosの2乗とすべきでした。幸い余力がありましたが、45年程後に取り壊されてほっとしました。最後を見に行き、お別れをしました。


2. 宮城県スポーツセンター 
 宮城県スポーツセンター屋根をPSケーブルで相貫HPシェルとしたものです(1963年)。ケーブル間にPCドリゾール板を取り付けたものです。宮城沖地震で天井材一部の破片が落ちました。変形が大きくなり勝ちな部分の仕上げ材はもっと注意すべきでした。

ドリゾール板と溝部のPC板ほぼ取り付け完了時

3.新宿住友三角ビル

 新宿住友三角ビルは私が担当した最後の建物です(1972年)。長周期をどう捉えるか苦労しました。使用者の揺れに対する不安感が気になり簡易吊り床で実験しました。しかし、超高層の上層階ゆれが絶対速度で極めて大きくなるとは思いませんでした。他のビルよりは揺れを少なくした心算でしたが。