特集2:「富弘美術館施工者選定」に関して  
群馬県勢多郡東村富弘美術館は当村出身の星野富弘の絵画や詩の常設展示場とし、1991年5月、草木ダム湖畔にオープン、年間約40万人の来館者のある美術館として注目を集めてきたが、同施設が狭隘、老朽化してきたことから、増改築を計画し、同美術館建設検討委員会(委員長・中川武早大教授)を設置した。委員会は検討の結果、現施設を拡張して新美術館を建設することを決定し、「身体的障害を克服して、やさしさにあふれた作品を描き続ける富広さんの作品は人類普遍の心の教育につながる」との考えから、国際設計コンペの採用となった。応募作品は国の内外から1211件を数え、世界一の応募総数となった。応募作品は2002年1月25日から2月1日まで公開展示され、住民の意見を審査に反映させた。2次の審査を経て、2002年2月23日最終審査の結果、ヨコミゾマコト氏の作品を最優秀作品とした。
2003年9月、施工者選定に際しても、住民に公開する方法が取られたが、その審査委員の委嘱が当会にあり、和田章、松村秀一、筒井勲、前田親範の各氏がその任に当たった。
審査は入札金額と、施工計画・技術の評価の2段階で行われたが、その概要は、業界紙上の他、日経アーキテクチュア誌(2003 9-29)でも報告されている。
当会にこのような審査業務が委嘱されたと言う意義を会員の皆様にも広く知っていただくため、関係された方々にご報告を兼ね、状況、ご感想を伺いたく、ご寄稿願いました。

愛と生き甲斐・・・・和田 章

 新聞だったかテレビだか覚えていないが、日本とアメリカの若者に人生で何を大切にしているかとアンケートした結果、日本では「生き甲斐を最も大切にする」、アメリカでは「愛が一番」という話があった。ここでいう愛とは、もちろん恋人同士の愛の問題ではなく、親兄弟、子供からはじまり周囲の人々への愛、まわりの動物、植物などへの愛、これらの自然だけでなく、ものへの愛も含んでいるように思う。道徳の時間にあるように、「ものを言うとき、それを聞く側になって考えてから話なさい」なども同じ愛の問題であろう。
 建築を設計し施工するときに、関係者の「生き甲斐、やりがい」も重要であろうが、「愛」が大切である。別の言葉でいえば、「思いやり」「心を込める」になる。
 日本建築学会が何十年も前から発行している鉄筋コンクリート構造計算規準には巻末に計算例が載っていて、構造設計を始めて行う人への教科書になっている。X方向、Y方向それぞれ数スパン、3階だての整形な建物である。日本中どこにでもある、町役場、学校建築などの基本形式になっている。雨風を防ぎ、常時の使用上問題の起きるような撓みや振動もなく、地震を受けてもそれなり強さと変形能力を持つ構造として多用されてきた。現在使われている東村の富弘美術館もこのような構造で作られた普通の建築である。
 日本を東京と地方に分けて考えるのはあまり好きではないが、地方の活性化や発展のために地方の人々が色々苦労していることは間違いがない。今まで使われてきた美術館の建物が老朽化し、雨漏りするところもでてきたので、立て替えることになったとき、星野富弘さんの描かれた絵や詩を多くの方に観てもらうことだけが目的なら、上に書いたような普通の建物でもその機能を十分に持たせ得る。このようにすれば、建築の設計には特別な設計者を選ぶ必要もないし、施工者はもちろん地元の建設会社で受けられる。その地方で集めた税金を使って建築を作るとき、設計や施工、材料の調達まで、ほとんどが地元でできるから、建設そのものが地方の活性化に役立ち意味がある。この方が愛のある行動といえる。
 もし、設計者だけが東京などに拠点を持つ建築家や設計事務所になった場合でも、設計に当たり、地元で施工のできる技術を使って設計するのが愛を込めた行動である。よくいわれることだが、地方銀行の本社ビルの設計に当たり、その銀行に取引のある建設会社、ファブリケータが受注しても十分にその性能を発揮できるように、やさしい作り方の設計にすべきということがある。無理した設計をして出来上がる建物は奇抜なものになったとしても、その銀行の取引企業が施工に携われないのでは意味がない。
 しかし、富弘美術館の場合はこれらと全く別の方法で行われた。建築案の選定のために国際コンペを行い、1000点以上の作品が集まり、この中からヨコミゾ氏の作品が選ばれた。新進気鋭の若手建築家であり、この度の施工者選定委員会に関係して何度かお会いしたが、素晴しい建築を作ることに一生懸命で、周囲の人の意見を終わりまでよく聞くすてきな人だ。2年程前に竣工した仙台メディアパークの設計グループで活躍された方である。この仙台の建築は素晴しいが、施工には非常に高度の技術が必要であり、難しい建物である。
 この流れをくみ、富広美術館の設計案もかなり奇抜な設計になっている。もちろん、施工には高度な技術が要求される。世界の建築界をあっといわせる建築を作り、星野富弘氏の絵や詩の魅力に加え、建築の魅力が重なり、結果として多くの人々が集まることにより、東村が活性化されれば、それはそれで愛のある行動であったといえるのかも知れない。
 大小の水玉模様のように円筒状に立てられた鉄板を沢山組み合わせた夢のある建築である。この建築は力学的だけでなく、施工上の問題、雨漏り対策、結露対策などに多くの難しさがあり、施工者には高い技術が要求される。地元の施工会社と東京に本社を持つ大手建設会社では技術力に大きな違いがあることがはっきりし、選定委員会の結論もそのようになった。
 代々木オリンピックスタジアムなど多くの建築の構造設計を自ら行い、さらに多くの弟子を育てた坪井善勝先生は「建築の美は、合理性をとことん追求した点そのものにはなく、その点の近傍にある」といっている。この度の設計案では、縦長の薄い鉄板を順に並べて行くことにより、工業化された工法が可能であるという説明があった。これに対し、選定された施工者の取った方法は複数の円形が接しあうところにできる3角形上のブロックを、あらかじめ工場で製作し、大型トラックで運び、現地でこれを並べて行くことによって、この形を成立させようとした。円形の半径がそれぞれ異なるから、この3角形ブロックの形はすべて異なるが、それでも、現地での接合箇所を減らすことが、施工上だけでなく、漏水対策上にも優れているということである。設計者が思い描く合理性と、施工者が考える合理性は別のものだということも興味深い。
 地元の施工者にはできない難しい設計案を選び、結果として、我が国でも最も高い施工技術を持つ施工会社が受注し、工事が始まった。設計案の通り夢のある楽しい建築が完成すると思う。平屋の建物であり、車いすで来られる方達にも障害がない、直径の異なる円形の部屋を順に回って、星野富弘氏の作品をゆっくり観ていくのは楽しいことだと思う。プロセスに愛があったかどうかは少々疑問であるが、関係者にやりがいがあることは間違いない。この美術館が完成後に愛に包まれて発展することを希望する。


東村での経験は明日に繋がる・・・・松村秀一

 入札時に一定の条件を満たした複数の施工業者が、それぞれに設計者の意を汲んだ形で施工上の技術提案をする。それを専門家たちから成る審査委員会が評価して最も優秀な案を選定する。しかも、そのプロセスのすべてが住民の見ている前で行われる。前代未聞の仕掛けである。
 最初東村の方や群馬県の椎名さんからこの話を聞いた時には、いささか不安な面もあった。特に、詳細な設計が完成した上で工事業者の入札が行われるという公共工事の建前からすれば、施工業者側からの詳細設計に関わる技術提案はその建前に反してしまうし、もしそうした技術提案を前提とした場合、竣工後の建物の性能に関する責任の所在が明確ではなくなってしまう。そのあたりに関する整理なく、いきなり施工業者からの提案を求めるのはまずいのではないかという不安である。
 そこで、サーツ建築部会のメンバーに相談したところ、「細かいところでの調整は必要だが、ゼネコンには良い刺激になるだろうし、面白いから協力しましょう」ということで、和田先生、難工事の現場所長を幾度も経験した筒井さん、そして鉄骨工事のスペシャリスト前田さんが審査委員を引き受けることになった。
 案ずるより産むが易し。施工業者各社から選ばれた現場所長候補の方々が提案者として舞台に立ち、どなたも「私が所長になったらこうします」と自信に満ちた発表を行った。提案内容は、富広さんの作品や美術館への思いをどう施工に反映させるかという施工者スピリットに関するものから、工事中の美観や村民へのサービスに関するもの、更には、円形に曲げた鋼板の壁を主たる構造とし、しかもそれがいくつも繋がる形で全体を構成するという挑戦的な設計案の実現に伴い解決しなければならない結露対策や施工手順の問題に関するものまで多岐に及んだ。設計案のディテールに変更を加える提案も少なからず見られたが、それに関しても案ずるより産むが易し。その場で、設計者の横溝さんとの間で技術的な議論が展開され、村の人には双方の意気込みが熱気を帯びて伝わっただろうし、設計者の意図やこの建築工事の難しさもより明確に伝わったはずだ。
 施工業者にとっても大いに刺激になっただろう。互いの発表や質問への答えを直接聞くことができる。こういう施工上の課題が与えられた時、他社ではどのような点に注意を払い、どういう技術的な検討を行うのかが手に取るようにわかったはずだ。そして、何より一般の人に施工業者の役割や技術力を具体的に理解してもらうまたとない機会になったことが大きい。
 初めての試みということもあっただろうが、どの企業も時間をかけて説明用資料を用意していたし、プロジェクターによるプレゼも堂々たるものだった。ただ、契約が取れるかどうかわからないまま毎度毎度これほどの労力をかけていたのでは、施工業者側の気持ちも萎えてしまうし長続きしない。もちろん技術的に難易度の低い建築工事では今回のように提案の内容を競うこと自体難しい。そうしたことを考え、私自身は、今回の例のように技術的に見ても挑戦的な建物の工事の際にこそ広く適用すべき方式だと結論付けてはいる。


着工まえの施工技術評価・・・・筒井 勲

 村長さんの心配は、竣工後の雨漏り、結露、故障、維持管理のし易さ、耐久性など基本的品質は大丈夫か、すぐに対応してくれるかなどであり、その為には
良い施工会社を選ばなくてはということであった。
 日本では、一般に建物の不具合、欠陥は殆ど、全て施工会社の手抜きか管理不足が原因であると考えられ、その対応、尻拭いも当然施工会社が担当すると思われ、また大体そのように現実もなっている。
 日本の設計コンペは村長さんの心配している基本的品質などはまったく審査の対象外であり、工学的な意味での洗練された技術や、確かな収まりなどは眼中に無く、むしろそんなものにとらわれないユニークな、豊な、楽しい、アバンギャルドな空間を評価する、エンジニアリング的評価はしないし、その筋の専門家も入っていない。
 そこで村長さんはお金だけでなく技術の確りした良い施工会社を選ばなくてはとなる。
 村長さんの意を汲み、図面を一瞥した結果した結果、このプロジェクトは通常の建築ではなく、外壁の収まりなどに問題も多く、高度な技術的なポテンシャルを有する施工者が設計者に協力し設計内容を改良洗練されたものにしていく事が必要であると考えた。
 設計改善提案を中心に評価するとして、設計者にとって不愉快なことになるやもしれないが良いですか、と言う事に村長の賛同を得てスタートした。そうは言っても心の広い設計者であっても実際にはあまり言われると面白くないもののようである。
 完成度の高い設計図書をもとに、高い技術的な調整力を持った設計者で、契約社会であれば、施工会社の選定は価格だけでよい。施工会社は何処でも同じである。
日本も建前だけは上記の原則であるが、本音は村長さんの言うとうり施工会社を選びたい。
 着工もしないうちに施工会社の技術力を評価するには施工計画の評価、過去の実績、保有する技術力の評価、このプロジェクトに対して注入する熱意(組織的対応、担当者の選定)などが一般的である。施工計画や運営手法など手段系の評価は着実な工程計画、モデル施工の実施、近隣環境への配慮などそれ自体重要ではあるが完成後の結果の評価が相応しい、仰々しいプレゼを信用してよいものか。終わり良ければ全て良しである。設計者の相談相手となり設計を改良していく熱意、組織的対応力、の評価を中心とした。
 今回、設計図どうり着実に熱意を持って施工いたします派(地元ゼネコン)と、収まっていない図面を何とかしなくては派(大手ゼネコン)に分かれ、設計改善提案派に軍配が上がった。
 設計者も相談相手となる頼りになるゼネコンを期待していたようである。
 残念ながら、客観性、合理性があるかと問われれば、審査員による人気投票の観は否めない。


施工者選びの技術評価とは何か・・・・伊藤誠三

 当会には少ない意匠系の会員として、一言感想を述べることにした。
 かつてはコンペに情熱を燃やした時代もあり、もう40年も前のことになるが、京都国際会議場の国際コンペには組織のチームの一員として参加した。豪農の集落のような切り妻の大屋根群で構成したが、あえなく落選、当選作を見て、その現代的な構成と造形に驚嘆し、似たような発想をしながらその違いを知らされた。その後、両3度、現場の見学の機会があったが、斜めに交錯する鉄骨群が生み出す、殆ど勾配の無い長大な谷あいがどういう納まりになるのか心配していたが、竣工後、ずっと雨漏りの補修を続けていると聞いている。
 日本では「雨露を凌ぐ」という言い方で住まいの基本が表現されている。雨と夜露から身を守る、建物を作る側から言えば、雨漏りと結露を防ぐことが建物の要件とも言える。今度の施工者選定では、日経アーキテクチュアの記事によれば、建て方とかこの基本的なことが、施工者の技術にゆだねられたらしい。設計という業務を一言で言うと、計画建物の形態や「在りよう」を示すことであり、その成果達成の確認のために監理業務があると言えると思うが、その性能レベルとその達成手順を施工者の技術にゆだねるとすれば、「建物のありよう」とは何か、監理業務の実質はどう言うことになるのだろう。建物のありようとは空間の形状だけのことなのだろうか。
 日本経済新聞紙上では「設計選び、変化の兆し」(2003.7.26)として報道していたが、公共建築の建築家選びに住民参加という視点でのみ捉えられているようだ。
 建築の技術的な面は施工業者に任せればよいということが、「変化の兆し」ではないだろうとは思うものの、いまや、技術の集積が優れたゼネコン側にある現在、その傾向が明確になってゆくのだろうか。