「建築信用不安を憂う」


先年の姉歯構造計算偽装事件以降,各方面での欺瞞行為が表面化して,社会の信用不安を起しています. 建築業界に限っても,再発防止を意図した建築基準法改正にも拘らず,構造偽装の再発,追い討ちをかけるように建材の不正性能申請も発覚しました.改正法規施行の厳格化による混乱で,急遽,緩和措置が考慮されるとか,「一体,どうなっているんだ」の実感があります.今,広く蔓延している社会信用不安感をどう考えるか,対処の方法はあるのか,実績豊かな諸先輩に,お考えをお聞きしました.
「日本の隘路」・・・・  奈良幹雄
 近年における不祥事の続発が契機となって、市場経済を担う企業経営への不信感が増大している。こうした一連の事件の反省から、金融商品取引法が9月から完全施行され、改正建築基準法は6月から施行された。また、会社法は昨年5月から施行されている。金商法(日本版SOX法)の最大の狙いは、財務報告につながる社内の不正やリスクの芽を摘みとることだ。建基法は耐震強度偽装事件を教訓とした安全性の審査の厳格化、そして会社法は取締役に内部統制システムの構築義務が課せられた。
 不祥事の頻発は、企業にとって内部統制や法令遵守が極めて重要になっていることは間違いない。しかし、わが国ではいったん法制化されると、その法律の詳細な解釈運用に重点が集中して背景にある法の精神や社会的な要請について考える姿勢に欠けているように思われる。法の本質を見抜いて対応することが必要だ。いま法の解釈運用にあたり対応を怠れば行政処分もありリスク過敏症候群になって、法律に適合していることだけが目的となる傾向にある。
 法を超えて、企業がいかに社会の要請に応えていくかを積極的に考えていかないと企業や組織全体の活力は失われていくだろう。
 これら法制度の内部統制やコンプライアンスへの対応に必要な書類の量と作成にかかる人件費などのコスト増負担はあまりにも大きい。
 改正建基法を見ると、施行後建築確認の停滞で建築界は大混乱である。日本経済への影響も影を落とし始めている。今回の建基法改正の目的は、一般消費者のためのものではなかったか。ところが現実はどうでもよい枝葉末節ばかりを吟味するため、煩雑な書類作成で仕事量は膨大で負担が過重となっている。これで果たして安全で良質な建築物が適正な期限に完成するのかすこぶる疑問である。
 コンプライアンスを超えて日本企業を正しい方向へもっていくカギはすべてのプロセスと結果を受益者の要求に合致した仕事の価値に重心を置く基準に変革できるかにかかっている。これが出来ないなら日本企業の競争力の低下、企業不祥事は根絶できないだろう。

「建築信用不安に思う」・・・・前田 親範
 5/25に「娘の家」の建築確認申請を通し、引越しも終わったところですが、同じ私道に接する燐家の確認が通らず、壁面線の後退が出来ないために車が入らず困っています。
 これは、6/30施行された「建築基準法改正」による「法施工の厳格化」のためで、区役所の窓口業務の混乱から、ハウスメーカーに云はせると着工率は、ほとんど0状態になっているそうで、ここで更に「緩和措置」が施行されると、更なる混乱が起きるような気がします。
 一方、建ってしまった建物は「耐震診断」なる名目の上で、本来は「建築基準法」に準拠して、最低でもQu/Qun≧1で造られるべき建物が、法にはないQu/Qunが1〜0.6であれば補強(補強規準も明確でないまま)すればOKと云うダブルスタンダードがまかり通っています。
 耐震偽装や施工不良・手抜き工事は、明らかな犯罪で、これらは裁かれるべきものであり、建築基準法に適合するよう建替えをすべきものであります。一般の既存不適格の建物とは、明快に分けて考えるべきものと思っています。
 食の安全、住居の安全、医療の安全、更には、社会、環境の安全と、あらゆる安全神話が崩れかけています。何故でしょうか? 少なくとも、私の現役の時代には、技術屋の誇りや職人魂、仕事に対する「愛」がありました。会社に対する忠誠心のため、経済性を重んじての少々の「悪」も無かったとは云いませんが、歯止めをかける「良心」があったと思います。しかしそれも、1億総中流時代の「衣・食・住」足りての「愛」で、二極化して行く社会での「負け組側」の倒産・失業・ニート・ホームレス・犯罪と悪循環に落ち込む人たちにとっては、もはや「愛」などと云ってはいられないのかも知れません。皮肉にも「内部告発」「チクリ」が社会の構造を変えようとしています。しかし今こそ、現役を卒業した、安全・公正、無害な我々が、声を揃えて叫ばねばなりません。一人で叫ぶのは愚痴、10人で叫んで提言、100人で力になります。それが民主主義と思っています。

「居心地の悪い時代」・・・・ 舛田卓哉
 「嘘つきは泥棒の始まり」とは幼き頃に良く叱られた言葉として耳に残っています。
 それ程に嘘をつく事は悪いことの代名詞として教えられ来たのですが、昨今、あらゆる分野でこの言葉が忘れられたような現象が目に付きはじめました。賞味期限改ざんに始まる食品の世界のみならず、我々建築の世界にも衝撃的な耐震偽装事件以降エレベーター鋼材強度不足事件やニチアス、東洋ゴム工業による耐火建材偽装事件、近くは栗本鉄工所の円筒型枠板厚不足事件など「一体どうなっているのだと」叫びたくなる事件が続発しています。聞けばその大半が内部告発から始まったとの事、企業内にも良心が残っていたことはある面では救いかもしれません。それにしても何故このような偽装、ごまかしが多発するのでしょうか。私はその原因は時代にあると感じています。映画「三丁目の夕日」の時代は貧しくとも互いに助け合って生きていく中で人を騙すことは最も忌むべきことだったのです。生きる方便として多少の嘘は許されても「嘘にもほどがある嘘」は人に迷惑がかかるだけに許されないとの自制心があったのです。しかし、時代が移り飽食の時代となった現代では人の助けがなくとも「金さえあれば何とかなる」とその自制心が薄れたと思っています。人のことはかまってはいられないとばかりに利を求めて行動するのは自然の成り行きです。人間の欲望に限りがない以上その人間の集合体である会社もまたしかりです。
 しかし、人を信頼出来なくなるのは寂しいものです。私の知ってる人で手痛い騙され方をして、「二度と人は信用しません」と暗い顔をして話されていたのが忘れられません。
 今、世の中全てが人は悪い事をするものとの性悪説に傾斜しています。建築の世界でも姉歯事件以来その流れが加速しています。周囲を見回せばいつのまにか「建物を作る人」より「取り締まる人」が増えその対応にエネルギーをそがれているように感じます。一部の心無い人間の仕打ちがこれほどに社会の仕組みを変えていくのは驚きです。過剰反応とも思える今の世相が早く正気に戻って性善説に振れることを願わずにはいられません。

「物事をできるだけオープンに」・・・・松本信二
 建築界における偽装事件や検査不正事件が後をたたない。しかし、この種の問題は、建築界に限らず、食品業界をはじめ多くの分野で次々に問題になっている。すなわち、社会的な風潮として定着しつつあるということである。まことに嘆かわしいことであるが、残念ながら、根本的な解決策はないといえそうである。仕事に対する個人・組織の意識・責任感の問題であり、どのような規制を行っても、完全に防止することはできない。あまりに複雑な手間のかかる規制では、かえって不便になり、コストもかかる。総合的に考えると社会的な損失を招くことになってしまう。
 とはいっても、何とかしなければならない。そこで、以下のような2つの原則を設定してみた。
  1. 物事をできるだけオープンにする
  2. きちんと記録を残す(形式は問わない)
 他人を騙すということは、真実を隠すということである。真実を隠すために誤った情報を流すということになる。物事をできるだけオープンにして、真実を隠さないという姿勢や仕組みづくりが基本となる。仕事を行う個人・組織は、常に他者がどのように見ているかを意識しながら、できるだけオープンな態度を維持すべきである。
 いくらオープンにしていても、必ず間違いは起こる。そのような場合に、きちんと記録を残しておけば、正しい対応が可能となり、反省することもできる。きちんと記録を残しておくということを前提として、初めて物事をオープンにすることができるのかも知れない。ただし、記録の形式はできるだけ自由にしたい。いくつかの品質管理システムでは、記録の形式にこだわりすぎて、無駄な書類をあまりにも多く作っているような気がする。

「故意又ハ過失」 ・・・・ 矢作和久
 「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」。民法第709条です。故意であるか過失であるかで、法的責任に差を付けないのが民法の原則です。損害を与ええた相手に対して同様の賠償義務を負います。
 しかし、刑法は違います。例えば、誤って人に自動車をぶつけて死傷させてしまった場合の刑罰は、「7年以下の懲役若しくは禁固、又は100万円以下の罰金」です。罰金刑になって、民事も含めて保険金で支払われることが多いと思います。殺そうとして故意にぶつけて死傷させた場合は殺人罪で、最高刑は死刑です。懲役刑を免れることはできません。これは極端な例ですが、失われる信頼の度合いを問題にする場合、その行為が過失によるものか、故意であるかは大変な差があります。考えなければならない対策も全く異なります。
 人間のやることですから、ミスを犯すことはあるでしょう。こういう観点で許すことができます。しかし、「偽装」は許されません。特別の権限を与えられた建築士として、許されない重大犯罪です。最高刑で臨むべきだと思います。
 今回の一連の事件は、構造計算書を改ざんするという、行おうとする意志を持ってした「偽装」という行為に、過失で行われてしまった構造欠陥が区別なく取り上げられて、事件を大きくしていると感じています。これらは峻別して考える必要があります。
 TQCの方が好きですし、人間の本来的な「性」は、「善」だと考えたいと思っています。
  
「住宅基礎の信用不安に思う」・・・・若命善雄
 私は、戸建て住宅を対象とした地盤と基礎に関するコンサルティング業務に携わってきた。その経験を踏まえ、住宅基礎の沈下障害を中心に私見を述べる。
 都市への人口集中に伴い、都市近郊の後背湿地、谷底平野などの軟弱地盤に盛土造成が行われたり、傾斜地をひな壇状に切盛り造成した人工地盤を宅地として利用するケースが急増している。 
 一方、建物を安全に支えるという大きな役割を担っているのが基礎である。その基礎に伝達された建物荷重を支えているのが地盤であることは言うまでもない。しかし、戸建て住宅の機能性や安全性を問う場合、居住者は建物本体つまり上部構造の表面的な性能や家具、調度品などに目が向きがちである。地盤沈下によって建物が傾斜したり、大雨や大地震時に地すべりなどの地盤災害が生じない限り、見えない地盤や基礎への意識は低く、建物本体にお金を掛けても、地盤調査や基礎工事費は極力削減したいと思っている。そのため、住宅供給会社も客の要求に応じるあまり、地盤や基礎を軽視しがちになり、結果として竣工後に生じた基礎の沈下障害の補償や修復費に多大な出費を強いられることがしばしば見受けられる。
 2000年の『住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)』の施行に伴う法70条に基づく技術的基準の国土交通省告示や住宅性能表示制度、さらには指定住宅紛争処理機関の設置等、新築戸建住宅をとりまく技術的基準が著しく変わり、『性能評価』という言葉も一般に定着しつつある。さらには、一昨年の『耐震強度偽造問題』によって、ますます安全な住宅設計が求められる時代へ突入したとも言える。戸建て住宅に関わる法制度の整備・強化、居住者の意識の向上により住宅供給会社や施工会社の責任は益々高まると予想される。このような状況の中で戸建て住宅の沈下障害に関わるトラブルを防止するには、地盤調査から基礎の設計・施工までを適切かつ確実に行えるように技術力を高め、技術者を育成することが不可欠であることは言うまでもないが、居住者に対して、目に見えない地盤調査の重要性や基礎の大切を十分に居住者に説明し、それに見合った出費をしてもらえるような環境の醸成も必要と考える。
 具体的に対応するため、日本建築学会から(仮称)小規模建築物の基礎設計指針が2008年の3月に発刊する予定があるので参考にすることを進める。