特集1:建築基本法設立への考え方
去る8月6日、建設業界紙上にて、神田順教授の呼びかけによる「建築基本法設立準備会」の発足が報じられました。当会は2000年6月の建築基準法改正における性能規定化について、その問題点に関するシンポジウムを開催、更に改正基準法への提言をする等、そのあり方について関心を寄せてきました。新発足の準備会には当会会員も数名参加しておられ、その動きに注目したいと思います。今度の新しい動きをより良く理解するために、関係の方々、また、広く関連の方のお話を伺いたく、ご寄稿をお願いしました。

建築基本法制定準備のねらい・・・神田 順
 去る8月6日、日本建築学会のホールを借りて、建築関係者約200名で建築基本法制定準備会を発足させた。その様子については、いくつかの建設業界紙に取り上げていただき、また趣旨や私の試案なども基本法ホームページ(http://www.kihonho.jp/)にも載せているので、重複する部分もあるが、改めて誌面を借りて、その制定のねらいを紹介したい。
 わが国には、基本法と名の付く法律は環境基本法や土地基本法、教育基本法など有名なものをはじめ、青少年有害社会環境対策基本法や芸術文化振興基本法など、あまり知られていないものも合わせて相当な数ある。
一般に法律は、国民が守るべき義務を文章にしたもので、規制を旨とするものであるが、基本法は国民の側から行政に向けて政策を指示することができるものと考えて良い。集団規定は国が基準法で一律に定めるのでなく自治体で規定すべきとか、建築の技術開発を推進せよとか、発注者の自己責任を明確化せよ、などということが国民の合意であれば、国 会を通して政府に指示できる。建築審議会が答申を出すのにも似ているが、やはり国民の側から立法手段によって行政に注文するという点で、より強い手段であり、単なる答申と違う法律ゆえの具体性をもつ。
 果たして、そのようなことが可能か。それは、ひとえに建築にかかわっている人たちが、建築をどのように考えているかによると思う。言い換えれば、関係者が現在の日本の建築をとりまく状況に対してどれだけ危機的に感じているかということである。このまま、基準法を手直しし、各種審議会で合意をとりながら進めれば、運用でよくなると思うのであれば、何をいまさら基本を法律にする必要があるか、と言うことである。しかし、いまのやりかたではとても日本の建築やまちなみが、国民の思っているようにはならない。そのためのアクションの第1歩が、国民レベルからの提案による建築基本法の制定であると考えた。
 現状を分析するに、建築にかかわるあらゆる局面で、経済論理が突出している。そのことが、知らないうちに容積率一杯の醜い街区を作り、見かけ上の最低基準の安全性で安価な建築で良しとされる原因を作っている。「建築家が悪い」「発注者が悪い」というだけでは、一方で良心的な設計者、施工者がいても、建築もまちなみも良くなる気配が見えない。
 そのような見方のきっかけを、反面教師的に提供してくれたのが、1998年建築基準法改正であり、2000年の施行令・告示の制定である。性能規定化を計算法までも含めた詳細な仕様規定を示されては、構造設計という職能の存在意義を否定されたに等しい。多くの建築家が容積率や斜線制限によって決まるまちなみに疑問を感じていることも、ここまで放置していたことを「見直さなければ」という状況に、ようやくなってきた。
 私なりに考えた9条からなる試案をオープンにし、それに対して、さまざまな角度から意見を頂き、次回の総会(12月2日)に向けて準備会案にすべく検討を進めているところである。建築物が個人の財産であるという点において、憲法で保障された財産権を犯すことはできないが、建築物がまちを形成する要素としての社会的存在であることも確かで、それが、現行の基準法による単体規定と集団規定の根拠である。基本法では、まず、建築の理念をうたい、それを達成すべき関係者の責務を明らかにすることに尽きるという点においては、概ね合意されている。具体的な規制は、単体規定については基準法にあったものを、名称としてはわかりやすく、消防法の関連部分と合わせて、単に「建築物安全規制法」とかにするとよい。また、集団規定についてはすべて、自治体に委ねるのがよさそうである。また、確認申請と建築士制度が、関係者の無責任体制を生んでいるので、専門家には権限と責任を明記した法制度を設け、一方国民ひとりひとりにも、建築主・発注者となる場合の責務を明らかにすることが必要である。建築基準法・消防法や建築士法・都市計画法が専門家のための法律であったのに対し、建築基本法は専門家でない国民に理解できるものである必要がある。
 わが国の立法が、十分な国民の議論の上に成り立っていないという問題点の指摘は、基本法制定にあたって、その愚を踏まない努力が必要である。準備会としては、法律分野も含めた専門家の間での議論の後、例えば来年のできるだけ早い時期に、一般市民を巻き込んだ議論を経て国会に提起したいと考えている。このようにして、オープンに「建築は如何にあるべきか」「建築業はどのような責任体制をとるべきか」などの議論を重ねること自体にも大いに意義があると考えている。


建築基本法への期待・・・・矢野克巳

社会のニーズに応える
 マスコミは建築確認が下りた建物を、近隣住民が環境を壊しているとの訴訟を報じている。法令で集団規定を定めてあるが、現代の社会に合っていない所為でしょうか。
 欠陥建築の指摘も、建築士法とその運用が適切でないのが原因と思えます。
 一方、法第38条を問題にして法改正を論じている。あまりにもずれているように思えてなりません。何れも大切な問題ですが、社会への対応にずれを感ずるのは、某公団総裁の対応のずれと似ているのでないでしょうか。
社会に応える性能設計へ
 社会へ情報開示する為に性能設計・表示をするべきですが、未だ程遠い感が致します。構造材の性能をA以上と言えば、何処を調べてもそうでないといけないのが常識です。しかし、現状は建前としてAを確保するべき工法を定義しているだけで、実態は0.7Aでも許しています。これでは社会は信用しません。社会常識に合った定義に変えるべきです。性能設計とは情報開示が前提です。社会の為、技術の進歩の為に。
 芦屋浜の地震災害の情報がはっきりしません。鋼材の性能に問題があるなら、工業製品ですから、同一材はリコールしないとおかしいでしょう。入力が問題なら、他の長周期建築の為にも詳細な検討が欲しいところです。関係した企業・学者は全て超一流です。しかし、情報開示に関しては三流です。これでは私達建築界は信用されません。信用され、尊敬される業界となるには、38条以前の問題が山積しています。
 『一つ穴のむじな』にならない為に、神田先生のリードに期待致します。


より良い住宅づくりのために「住宅建築基準法」及び「関連法規」の改訂を促す・・・・滝澤清治

 最近、住宅火災による死亡者の減少に向けて、住宅にも火災警報器の設置を義務付ける検討が行はれているとの報道がなされた。
 既に、一定規模以上や特定な用途の建築物には、これら火災に関する警報・報知・消火に対する設備の設置が義務付けられている。
 しかし、一定規模以下であり、且つ、居住者がその住居に対する習熟度が高い戸建住宅や小規模の低層共同住宅には義務付けられていなかった。
 また、火災による事故以外にも、住宅内におけるケガや死亡につながるような事故が発生しており、住宅の安全性についても法的に充分考慮されなければならない問題も有る。
 それ以外でも、最近の傾向として住宅のにおける家財の盗難や人的な被害がが多発する事から,防犯面での対応も検討が必要な社会情勢が生じてきている。
 建築の構造強度での改革は、各地で生じた地震の都度必要に応じた改正が行われてきたが、構造の安全性については、長い間、構造材料・工法によって、その安全性の度合いが異なったまま運用されて来たことが、被害の度合いにも関係していた。
 一方、近年、経済・社会の多くの面で急速な変化が生じているが、この中で、人口の高齢化の増進、少子化による人口増加度の減少、居住形態の多様化、市街地における道路水準の低さ、小規模宅地の増加、住宅における災害のクローズアップ、快適な生活を求める居住者、後を絶たない住宅の欠陥問題等住宅を巡る問題等が生じている。
 建築基準法が昭和25年に制定された後、現在までに時代や状況を反映して、多くの改正が行われて来たが、現在は人口動態が大きく変化をしていて、核家族・少子・高齢化方向にあることから、人が生活をする為の居住環境の在り方から、再度検証する必要が有ると考えます。  また、平成11年に「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が公布され、翌年施行されましたが、この住宅性能評価の技術規準や運用方法について検討され段階で、現在の建築基準法の中で、住宅、非住宅を一つの枠の中で見るのには困難な事が有ったのではないかと思われる。

 ちなみに、建築投資(土木を除く)は昭和35年度の事績で総投資額7兆円、その内訳は住宅、非住宅共に3.5兆円であったものが42年後の平成14年度の建築投資額は29兆円弱で、内住宅は19兆円弱(66%)、非住宅が10兆円弱(34%)で有る事からも、住宅の占める額や割合が大変大きくなっているので、住宅、非住宅を一つの法律の中で定めるのは困難になってきているように思え、この点からも住宅を一つの分野にした法体系を編成する事が、地域社会と居住者にとって快適で安全な環境の整備が出来るものと考えられる事から、10年後ぐらいを目指して、新しい「住宅基準法」の制定が望まれる次第です。
 尚,建築主事の判断の違いを少なくする為にも、細部に亘る規定を定める等の、判断の一元化が図られるような対応も必要と考えます。 


建築基準法と火災安全・・・・向野元昭

 新宿センタービルで、兼用ロビーの加圧防煙システムを38条による大臣認定により実施して以来、建築防災に興味を持っている。安全に関するものは、法による一定レベルの強制が伴わないと実行されないのが現実で、法規の及ぼした影響は大きいものである。38条の認定を受けた防災関連のテーマは、加圧防煙、アトリウムなどの大空間の蓄煙による区画等の緩和、FR鋼やCFTなどによる耐火被覆の緩和、燃え代の考え方による大規模木造などと時代により移り変わってきたが、建基法の性能規定化により、告示で大部分対応できるようになった。しかしながら、煙制御の分野では、当初から意図してきた、煙を侵入させたくない区画の圧力を高くして遮煙するという「加圧防煙」という概念が、法体系となじまなかったらしく今回は「加圧排煙」にとどまってしまった。
 最近の建築物の安全確保を巡る情勢では、同時に2ヶ所以上で出火したり、全館避難を要求される場面が出てきており、別の視点で安全を見直す必要がある。安全経路の長時間の防煙手段や、避難弱者のための篭城、今まではタブーとされていたエレベーターによる避難なども考えなくてはならない。防災設備が過剰投資にならないためにも、費用対効果について再点検して、例えば昭和45年の法改正以来、広範囲に設置されている排気排煙設備を更に信頼性の高い効率の良いシステムに改めることを考えても良い時期だと思う。消防との規制を調整してビルのヘリコプター避難なども再考も余地がある。告示により避難安全、耐火性能については精緻な大系が示されたが、一般の設計者が安全設計をわが事と捕らえずに専門家に任せてしまうことになる恐れもある。
いずれにしろ、安全の確保のために法規制は必要だが、効率よく、かつ快適な建築空間を生み出すための技術開発を受け入れる窓口があると良いと思う。


建築基本法を考える・・・・安部重孝

 「建築基本法制定準備会」が発足し、活動が始まろうとしている時に構造設計について少し考えてみることにした。
 1950年に制定された「建築基準法及び施行令」は、我が国で建築物を建設する環境即ち、建築技術、制度がやっと整えられる状況のなかで公布されたが、まだ建築技術者の技術力も一般的に低く、技術力を有する技術者の数も充分ではなかった。戦後の復興、大量の建築物の建設にこの「建築基準法及び施行令」は貢献し、安全で、健全な建物を設計、施工する環境を技術者に与えた。
 その後、技術の進歩を取り入れ、「建築基準法及び施行令」は改訂され、「建築基準法施行令、建設省告示」に細部が整備され、その目的を達成してきた。
 我が国の耐震規定は優れていると自負してきたが、1968年の十勝沖地震、1978年の宮城沖地震等、近代建築の震害を契機とした建設省の構造総プロの成果を受け、1981年の新耐震による「建築基準法及び施行令」の改訂がなされた。一方、建築技術の向上は目覚しく、超高層、大スパン構造、新基礎工法等に対し、38条大臣認定/日本建築センター等評定機関の整備による技術開発が促進された。順調な建築技術の発展の中で、1995年1月17日阪神大震災が発生し、その対応の中、次代の建築構造設計を考える新構造総プロが始まった。しかし、その新総プロの終了を見ることなく、「建築基準法及び施行令」の改訂の作業が始まり、確認申請の民間開放の一方、性能規定をうたいながら情報公開を趣旨として、38条廃止、告示の整備が行はれた。
 建築構造技術者の数は、JSCA会員3600人プラス会員外で一万人とも三万人とも言われている。大量に建設される一般的建物を安全・健康に「建築基準法」の目的を達成するには、従来の「建築基準法及び施行令」と勿論、確認機関の民間開放を踏まえたその運用制度で良いとも考えられる。一方、建築技術の進歩はとどまる事は無いと考えられ、それに対応する自由度は高いが、何らかのチェックシステムと責任を伴う制度の整備が期待され、その二つのレベルをくくる「建築基本法」が望まれる。