特集:「協会創立 10周年 記念講演」


記念講演原稿注: 講演は映像を使って丁寧に話されましたが,紙面の都 合上,講演実録をもとに大意を損なわないよう短縮し,両先生にそれぞれ校正して頂きました.

「200年住宅を標榜するとしたら,その社会的意味は何か」

                    ・・・・  代表理事 松村秀一
最近,にわかに「200年住宅」というのが話題に上るようになりましたが,皆さんの中には聞いた事がないと言う方もいらっしゃるかも知れません.元々は,自民党内に住宅土地部会というのがあって,地球環境への負荷の低減と言うことの一つの柱として,永く保つ住宅を作っていかなければならないということが検討されていたようで,現福田首相が部会長をしておられたのですが,昨年2月頃,私が朝食会に呼ばれまして15分程,考えることを述べるという機会がありました.その後,部会長だった福田さんは首相になられ,この事が政策の柱の一つになったわけです.およそ首相の所信表明の中で住宅に係わる政策が触れられた事は殆どなかったと聞いて居りますが,10月初めの所信表明の中で,具体的にこの事に触れられました.環境への対策は大事である,そこで環境への負荷を低減するために,例えば,200年住宅,というような表現がありました.政府の動きと言うのは良く分かりませんが,一旦,首相の所信表明で言及されると,直ちに関係省庁がいろいろ対応を考えるということのようであります.
 最終的には「長期優良住宅の普及の促進に関する法律案」という形で先日2月26日,閣議決定され,国会に提出されたと聞いています.それでその具体的な対応として,例えば,長寿命化促進税制を創設することになると,長寿命化住宅を規定する根拠なども検討せねばならないということもあります.最近は住宅関連業界では超長期住宅先導的モデル事業をどうするかという話が出たりしています.
 今日はそのような状況の経過の話ではなくて,先年,自民党の朝食会で述べた事をもう少し詳しくお話しようと思います.ここに唐突に,200年住宅という言葉が出てきたのですが,それを肯定も否定もできないというわけで,このテーマ自体にどんな意味があるのだろうか考えてみようというわけです.
 年配の方はご記憶でしょうが,昭和30年に鳩山内閣が国の大きなスローガンとして「1世帯1住宅の実現」を悲願として掲げていました.つまり,世帯数が住宅数を上回っていたわけです.それが昭和43年の時点ですでに,全国レベルで住宅戸数が世帯数を上回ることになりました.
 現在,日本には5500万戸以上の住宅がありますが,世帯数は4700万世帯位しかないので,600万戸以上の空き家を抱えているというのが統計上の数字です.こんなに多くの空き家を抱えている国は他にはありません.このことを考えると,今から200年住宅を建てるという事ではないのではないか.現在も減ったとは云っても,年間110万戸は建てていて,それらが長くもつ仕様になっていることは悪いことではありませんが,これから建てて行くぞということではない.今や,日本にある5000万戸以上の住宅の内,過半を占める十分な質を持つ住宅を人々の快適で豊かな生活の場として長く有効に利用し続けることに寄与できるように産業と技術を方向付けることこそが大事であると思って,発言してきました.分かり難いかもしれませんが,今から建てる技術の問題ではなくて,今ある良質なものを長く使えるように全体の技術乃至は産業をそちらのほうにシフトしてゆく良い時期ではないかと考えたわけです.うまく行けば,今ある住宅が,恐らく100年以上使われる住宅になる可能性もあるし,これから建てる住宅もいろいろ気をつけてゆけば,200年以上もつ住宅になるかもしれません,という話です.
 この200年住宅が政策になるのは日本だけで,イタリアでは200年以上持っている建物はいくらでもあるし,この件で,オランダの人とメールで話したところ,オランダでやるとしたら200年と言うのは短すぎる,2000年以上が課題となるのではないかとのことでした.
 この政策は日本的なものであることは間違いがない.その背景には日本の住宅の寿命が短いという漠然とした認識があります.多くの人がそう思うのは何故でしょうか,それが分からなければ,永く保つものは実現できません.
 日本の住宅が外国のものに比べて物として粗悪である.粗悪だから壊れてしまう.ということだろうか.私個人の経験からすると,かなり以前から,諸外国から日本の高い住宅建設技術を見学に来て,はるかに素晴らしいといって帰る事が多いのです,
 他に方丈記に代表されるような「はかなさ」が最も美しい,仮の庵で哲学しながら暮らすのが良い人生,というような精神的な文化の影響があるかもしれません.
 日本では土地と建物を別個のものとして登記していますが,このような法体系は日本と韓国以外にはありません.およそ欧米先進国では一体の財として,分かち難いものとしています.欧米の法体系に詳しい先生に聞きますと,欧米では建物も土地だと思っており,それを壊すことの不自然さがあって,日本人ほど簡単には建替え,増改築はできないという面があると言うのです.これは興味深い事で,明治初年にいろんな国から法体系を導入しましたが,何故かこれだけはかなり違っているようです.
 日本の住宅の寿命が短いといわれるデータが2種類あります.一つは,前年に取り壊された住宅が何年経ったものかの平均値をとってアメリカと比べたものです.国交省でも使っているデータですが,アメリカでは50年位のところ,日本では30年位となっています.10年程前では日本では26年で アメリカは50年というのがあります.気をつけなければいけないことは,日本では戦災で焼失した為,戦前のストックがなく,取り壊されたものは殆ど戦後のものである.となると,取り壊したもののみを取り上げるとアメリカより短くなるのは当然です.これは戦争の勝敗の結果というべき事柄でもあります.
 もう一つは,今ある住宅戸数を年間に建てる住宅戸数で除した数字で,今のペースで住宅を建てていって,全部建替えだとすると,何年で全て入れ替わるかというものです.これだと国際的にも比較できるデータが揃います.日本の場合,今年これで計算すると,5500を110で割ることになり,50年になります.1983年から2003年までの 欧米諸国と日本のこの数字をプロットしたグラフで明らかに分かる事が2つあります.一つは各国共右肩上がりで,だんだん新築の影響が小さくなり,ストックの方がはるかに重点的になり,一巡するのに要する時間が増えていくという事であります.もう一つは,日本の数字がひどく下方にあるという事です.これは新築が旺盛であり,ストックの数に比べて新築の数が多いので,フローの数で割るとその値は小さくなるわけです.右肩上がりであることはフローが小さくなっていって,ストックが増えていくという状況を表しているのですが,日本の住宅は寿命が短いという感じがするという事が分かります.
 ここで自民党での検討を引き継いだ政府の方針が,堅牢なものを建てるというようなハードな意味での200年住宅を考えることに終始するのではないかという懸念があります.部材を大きくするとかの事に何の意味があるでしょうか.建設時の単なる自己満足や,むしろ過剰投資という事になりかねません.資源を沢山使う200年仕様が30年で取り壊されて,廃棄物が増えるという事にもなります.
 ところで,永く保つ建物を造るというテーマは明治以来,建築学の最も重要な目標で,そのために学術もあり技術もありました.今更200年住宅ということを新しいテーマのように言うのは変で,200年とは言っていないけれど,明治の初めから追求していることです.しかし,その多くの名建築が物理的には保つのだけれど,壊されている.その大きな理由として,基準法が変わった,技術や経済条件が変わった,ライフスタイルが変わったというような事が挙げられます. また,環境条件が23世紀まで同じ条件である保証は何処にもない.200年間これらの条件が変わらないと約束されるなら,200年建築を建てることに建築界がまい進してもいいでしょうが,これらが常に変動するものであるなら,これを建てる事がどれだけの影響をもたらすか,いい事か,悪い事かさえ分からないという事を申し上げたわけです.
 日本において100年を越えて使われている建造物は沢山ありますが,20年ごとに建替えられる伊勢神宮や50年ごとに解体して新しい部材で組み立てる錦帯橋のように,長期に保たせる為には定期的に手を入れてゆく仕組みを考えて行く必要があります.
 私自身は日本の住宅の寿命が短いということに賛成していないのですが,これからも短いのかと言うと,今までは,30年から40年で壊しているものが多いのですが,そのような早期の建替えは減少するだろう,政府が唱えなくても住宅の取り壊しまでの時間は自然と延びてゆくと考えるのが妥当だと思っています.
 ストックの4分の3がすでに昭和50年以降に建ったもので,それ以降は経済成長していません.これまで壊されてきたものは昭和30〜40年代に建てられ,手狭だったり,不便だったりしたのですが,高度経済成長の後,昭和50年以降に建てられたものは,平均延べ床面積でも2005年のものより1980年の方が大きい程です.住宅を持っている人が高齢化し,現在の住宅で不便がないとなると,建て替えようという動機付けが乏しい状況だと思います.
 ですから,これまで蓄積し,これから蓄積してゆく国富とも言うべき十分な量の永く保ち得る住宅を,いかに将来の世代のそれぞれの人のライフスタイルに相応しい生活の場として効果的に運営していけるか,が今後の課題になると思います.それには新たな産業への転換が必要なのですが,転換にはリスクが伴います.そこで国のできることはそのリスクを低減するための政策を採ることだろうと思います.
 現在,日本では住宅投資全体に占める増改築の割合は約2割しかなく,約8割は新築工事です.イタリアでは6割が新築ではありませんし,イギリス,フランス,ドイツも同様です.やがて日本もこのレベルに近づくでしょう.この6割の仕事がどんな内容かと言うと,1992年頃見学したスウエーデンの大改造をした集合住宅の例があります.これは単なる修理ではなく,外壁,サッシの更新の他,バルコニーをつける等,建物を取り壊さずに新しい価値を創出し,向上させています. 日本では耐震補強のような工事も加わるでしょう.
 もう一つ,コンバージョンの課題があります.かつて2003年問題,2007年問題と言われた社会構造の変化に伴う都市に於ける建物構成の変化が,東京ではまだ顕著ではありませんが,全国レベルでは起きています.また,用途の概念の変化もあります.これらの変化に対応するよう事務所を住宅に変える等の用途転換を図る検討が進んでいます.
 今後は「ないから建てたいから,あるけど何とかしたい」という,大きく転換する生活者ニーズに応え得る産業に変わってゆくことになると思いますが,そこで一番大切な事は,「信頼性が高く安価な既存住宅の診断評価技術」だろうと思います.これがないと,建物の流通が起こらないし,資産価値も上らない,改造等の適正な判断ができない,ということになります.日本でまだリフォーム工事が伸びない理由は,業界全体への信頼がゆらいでいるとか,第3者性が必要とか,価格の問題等,産業としての課題もあるようです.
 ここに国交省の助成金を得た「集合住宅の劣化診断及び蘇生技術に適用に資するナレッジベースの研究開発」という数年来の研究があります.これは建築病理学と呼んでいる内容なのですが,建物の劣化現象の事例を集め,その現象が何故起きたか原因を特定する,それを如何に処置するかを纏め,そのデーターを公開するというものです.国民生活を支える21世紀型住生活産業の健全な発展に寄与するものと信じて居りますが,特に新たな人材の育成に必要なものであると思っています. 
 最後に,人口ピラミッドの問題をお話します.1950年頃では見事なピラミッド型をしていますが,が1980年ごろに型が崩れ, 2035年には下窄まりの縄文式土器形が完成します.この人口構成を見ると建築産業のあり方が全く違ったものにならざるを得ないと思います.後継者難という以上の危機意識を共有して,あるべき産業構造の変革について考えていただきたいと思います.(終)

2010年 人口ピラミッド


「建築は考えたところでは壊れない」
                  代表理事 和田 章

 プロローグとしてですが,ハイマンと言う人の書いたScience of structural engineering と言う本があります.技術関係の学問にサイエンスと名づけた本は少ないので気に入っているのですが,最後の囲み記事に女性が牛の乳を搾っている挿絵があります.この女性は3本脚の椅子に座って仕事をしていますが,これから3本脚とか4本脚とかの椅子の話をすることになります.


 この3本脚の椅子に600ニュートンの女性が座っているとしますと,1本当り200ニュートン.約20キロですね.ニュートンと言う単位に馴染みのない人もいらっしゃるかもしれませんが,1ニュートンは大体りんご一個の重さ,大体100グラムと考えればよいのです. 3本脚ですから,スイスの山のようなごつごつした庭でもどれかが宙に浮くということはなく,女性が中央に座れば,3本に均等に体重がかかります.これを4本脚にすると 安いレストランでの古い椅子のようにどれか1本が宙に浮いてがたがたする.どんなに椅子が精巧にできていたとしても,庭や床がごつごつしていると,どれか1本は浮いてしまうことをハイマン先生は説明しているのです.
 そこで1本が浮いていると残りの3本に均等に体重がかかるかと言うと,そうはならなくて,床についている対角線上の2本に30キロずつ掛って,浮いているものの対角線上のものはゼロと言うことになります.ここで,3本脚なら20キロずつ耐える脚だから4本脚では15キロの耐力があれば良いという設計にしておくと,脚が1本浮いていることの為に、座ったとたんに壊れてしまいます.安全率も見るわけですが,20キロの耐力のものでも,2本脚で何とか耐えて縮むような構造(塑性変形能力)になっていると,浮いている脚が次第に床について働くようになって,4本が20キロ、20キロ、10キロ、10キロの力を受けて、それぞれ機能を果たすことになります.ハイマン先生はイギリス,ケンブリッジで塑性設計を開発された方ですが,構造設計が成り立つためには,如何に塑性変形能力が必要かと言うことを説明しておられるのです.先生は後ろに立っている牛の話はしていないのですが,牛とか動物は良くできていて,脚は直ではなく,三つ関節があって曲がっているし,筋肉も付いていますから,どんなごつごつしたところでも自由に脚を伸縮させて,4本脚が常に機能できる構造になっています.ところが人間の作る構造物はこのように臨機応変に働くということにはなっていないのです.
 建築構造についてハイマン先生が説明した図があります.一つは4点がピンの不安定構造.これは組み立ては容易ですが,すぐ倒れてしまう.次は筋違で対角を繋いだもの,静定構造と言いますが,これは筋違の長さに少々の誤差があっても全体を少しどちらかに傾けるなどして何とか組み立てられる.先ほどの3本脚がこの構造です.ところが実際の建物は更に複雑で双方向に筋違が入っていますから,最後に入れるものは少しの誤差があってもうまく入らなくて,架構を歪ませてでも無理やり入れことになり,内部に力がこもってしまいます.となると,外からなんの力も受けてないのに最初から力を受けている状態の部材があることになり,この状態で地震や風等の外力も加わっ た時にうまく計画通りに部材が働くのかどうか分かりません.考えている強さを発揮する前に構造物が壊れてしまうかもしれません.組み立てるプロセスによって中に何が起きているか分からない構造物,それをどうしたら良いかが大きな問題です.
 今日お話するのは,コンピューターで正しく計算すれば正しい建物ができるという世の中の風潮に対して文句が云いたいからですが,ハイマンさんは素晴らしい事を云っています.一般の構造計算では、3本脚であれ,4本脚であれ,椅子がすべて大理石床のようにきちんとした平面の上に置かれ,中央に荷重が掛っていると仮定して計算していると言うのですね.実際には座る部分の板の局部変形、脚の曲がり等を考慮して、更に高度な解析をして設計するのですが,ごつごつした床に置くとその計算結果は何の意味もなくなってしまいます.
 私が1970年代に聞いた事故の例で,屋根から直径1mほどの水が流れるパイプを吊るしている工場があります.施工時には梁の高さも揃っていて,釣り子も均等に支持する様できていたのですが,地震があって,梁の高さが不揃いになって,釣り子に働いているのと遊んでいるのができてしまった.地震後,操業を再開した時,働いている釣り子に遊んでいる分の過重な力 が加わり切れてしまった.となると,隣接のものに更に大きな荷重がかかることになり,連鎖的に次々と切れて落下し,このパイプの下で人身事故が起きてしまった.もし,釣り子が塑性変形して伸びるようになっていたら,伸びている間に両隣の遊んでいる部材が利いてきて,結局は支える事ができたでしょう.こんなことは何処でも生じ得ることではないかと思います.このように,構造設計を行う上で塑性変形能力が絶対に必要なのですが ,実際の構造物では,結局は,このように考えが及ばなかったところで壊れてしまうことがあります.
 年配の方は鶴亀算や過不足算などを覚えていらっしゃると思うのですが,小学校で習う答えの出し方は,計算の思いと計算のプロセスが一致していることが分かります.ところが,中学校で連立方程式を使って機械的に計算することを習うと,こんなに簡単な方法があるなら小学校のとき教えて欲しかったと思っていました.ただ、最近になって,小学校で習っていた方法のほうが良かったのではないかと思っています.大学に入って,構造解析のいろんな方法を習うのですけれど,トラス、ラーメンのように骨組みの形状や作り方で解き方が何種類もあって,こんなに大変なら,構造の仕事はできないなと思いました.しかし,コンピューターによる構造解析が進んできて,マトリックス法でやると何でも簡単にできてしまう.こんな楽なことはないと思ってしまったのですが,振り返ると,こういうことばかりやっているから構造計算の意味や実際の現象が分からなくなってきたので,矢張り,鶴亀算や過不足算のように一個,一個のものに応じた考え方を身につけたほうが余程いいと,最近では思っています.たとえ,コンピューターで計算していても,それと実際は相当に違うということが先にも述べたように、多くあります.例えば,10階建でも30階建の建物でも全部出来上っているとして,色んな床荷重もすべて掛ったとして,一度に計算している.実際は作るプロセスによって,応力計算はいくらでも変わる筈なのに,そういうことを考えていない.結局は無重力の宇宙で全体を作り,そのままそうっと地球に下ろしたような計算しかしていません.
 都心にある高層ビルの例ですが,外周はコンクリートの地下外壁で囲まれていて,中央部は地中に埋められた鉄骨柱(鋼心柱)で仮に支えて,地上を作りながら地下を掘ってゆくという建て方をしていました.工事が進むにつれ建物の重みが増していき,これを受ける外周のコンクリート壁は縮まないが,地中の鉄骨柱は縮むので,竣工時に1階の中央部は無視できないほど下ってしまいます.この工法の特質なので,工事関係者は知っていたかもしれませんが,設計事務所には知らされていなかったということなのでしょう.工事では各階水平に作ったが,出来上がった時には変形していたというわけです.
 その他,大断面の形鋼が製鉄所でロールされて冷える時,厚みや形状によって不均等に冷えるので,内部は残留応力だらけで,柱や梁に組まれる以前にすでに降伏応力に近い力が働いているのではないかなどの問題もあります.このように,計算はやっているものの,実際は大いに異なるということが至るところであり,それらを補ってくれるのが素材や部材の持っている適度な塑性変形能力というわけです.
 次にお話しするのは少し専門的になりますが,構造物の原理で一番大事な定理は,構造物の終局耐力に関する「下界の定理」,「上界の定理」,それと答えは一つしかないとする「解の唯一性の定理」の三つだと思っています.
 下界の定理は,ある外力を受ける構造物の力の流れを想定し,その求め方は何でも良いのですが,各部材に生じている力以上の強度の部材で設計すれば,その構造物はその外力より強いという強さの下限(下界)を示しています.上界の定理は,ある壊れ方をイメージして求めた構造物の耐力は,本当の強さに等しいか大き過ぎるという,構造物の強さの上限(上界)を示す.ということは、正しい壊れ方をイメージしたときには本当の強さが分かるが、それに気付かないと構造物の強さを過大評価してしまう。色々考え抜いて、この上限下限の解を突き詰めていくと,一致するラインは一つしかないというのが解の唯一性の定理です.
 結局は構造計算で本当の知るためには,よく人の意見も聞いて,いろいろな壊れ方をイメージして,いかに多くことを考え抜くかという事になると思います.  他に高層ビルで採用された鉄板耐震壁の例があります.耐震壁として用いられた上下の厚い鉄板の間にそれより薄い鉄板のウエッブの梁があるという構造で,これでは上階の力が下階に伝わる前にウエッブが先に壊れることになるでしょう.こんな事も新しく大臣認定されたソフトでもエラーにならずに通ってしまうと思います.似た話は沢山あって,結局,一本一本だけの部材を見て良い悪いの判断をしていて,全体を見ていないということがよくあります.
 2001年に壊れた世界貿易センターの事ですが,壊れた理由として,ニューヨーク州立大学のある先生は,外周柱はバナナの皮,床は実のようなもので,実が硬いうちは皮を繋ぎとめてしっかりして建物の重さを支えられるが,熟して実が柔らかくなると皮はくにゃくにゃになって,建物の重さを支えきれない.床が壊れたので,外周柱が持たなくなったのだと説明していました.最近では,免震構造の超高層住宅で同じような構造のものがあり,今の基準では是とされていますが,注意が必要だと思います.
 私が勤めていた会社のコンピュータルームの入り口に「コンピュータープログラムは考えたようには動かない,作ったプログラムのように動く」という標語が掲げてありましたが,同じように「構造物は考えたようには挙動しない,造ったようにしか挙動しない」.事故やトラブルは考えたところでは起きない,要するに「構造物は考えたところでは壊れない」と言うのが,今日の話です.
 エピローグとして付け加えますと,いかに考え抜いて構造物がどう挙動するか想像するという力が必要だと思います.先日,現在施工中の世界最高高さの上海の森ビル超高層ビルの例を見てきましたが,設計は世界貿易センターの設計者のロバートソンですが,世界貿易センターの問題点を見事に解決しておりました.(終)