特集 アスベスト禍に思う 

先日来,TV,新聞紙上において「アスベスト禍」についての報道が相次いでいます.建材として優れた材質とされていたものが,このような結果をもたらした事に恐怖感さえ覚えますが,建設業界にあってアスベスト施工時代を経験した世代のものにとって,無言でいるわけには行かないと思い,特集を組むこととし,各部門の会員の方に一言,御願いしました.

アスベスト(石綿)禍に思う −倫理と知見− 浅野忠利
 平凡社による、1964年初版発行の世界大百科事典を、手にしてみると、石綿は耐熱性の強い保温材として記されており、その人体への影響には触れられておりません。
1961年に大手総合建設請負業に入社、設計業務に携っていた私は、石綿を設計図書に、何度か記入したのを記憶しています。
 一方、石綿の製造と取り扱い作業における規制を特定化学物質等障害予防規則に定めたのが、入社後10年目の1971年。以下、法整備の経緯を見ると、1975年には石綿の吹き付け作業の原則禁止、1995年に石綿の解体除去作業の規制強化、1996年石綿取り扱い業務従事者の健康管理規定が制定され、昨年度ようやく石綿含有製品の製造、輸入、提供・譲渡または仕様の禁止が明確になり、石綿障害予防規則も制定されました。そして2005年6月の大阪大手繊維メーカーの「退職者を含む従業員及び出入り業者ら79人が、石綿が原因と見られる疾病で死亡、同工場の近隣住民も石綿が原因と見られる中皮腫にて治療中で、見舞金を支払う」との発表により、一気に動きが激しくなりました。その直後、経済産業省から発表された「アスベストによる健康被害の実態調査の結果」を見ると、調査対象89社のうち約50社が2000年以後も、石綿含有製品の製造を続けていました。
 以上は、アスベスト問題の法制度にかかわる簡単な経緯ですが、この経過から明らかなように、1960年代、石綿の健康被害に関する認識は浅く、建築の世界では、保温効果が高く施工しやすい優れた材料と見られていました。石綿の健康被害が明らかになり、死を齎すにいたることが明らかになりつつあるとき、私たち建築技術者は、法制度が整備されるまでの間、いろいろな面で、必死の思いで、かけがえのないものを守り続ける責務を負っているのではないかと思われます。この責務を果たすことができたたかどうかは、厳しく問われなければなりません。その答えがどうあろうとも、私たち建築技術者はもの創りの最先端にあって、今後も、益々自らの判断で適切に判断し、適切に行動しなければなりません。
 サーツ会報にも何度か描かせていただきましたが、ドイツ・ギルドの職人の職業観「共同体への奉仕を通して、自己の自由を実現する」を思います。「共同体への奉仕」と「自己の自由の実現」、「道徳」と「科学」、「生命の尊厳」と「物の有効な活用」そして「倫理」と「知見」こうしたはざ間で、責任の持てる判断と行動を心がけて行きたいと、改めて、
決意させられました。
      
アスベスト問題を考える   太田統士
 アスベストの危険性は1980年の前後からささやかれていて、鉄骨の耐火被覆は吹き付け時の四散を防ぐ意味から、従来の水溶きからバインダー混入の岩綿が主成分の吹き付け材に変わっていったと記憶している。しかしながら今思えば、岩綿主体と言えどもアスベストを含んでいたはずで、その含有量も1%以下であったはずはないだろうと想像している。
 鉄骨造で公立学校などを多く手がけてきた身としては、当時は建設省は勿論、通産省も文部省も公認の工法だったとはいえ、そういう建材を使わされていたことが残念に思えてならない。幸いにも公共的な建物にあってはむき出しには使用してなく、天井や柱型の中に隠れていることもあり、後輩達に聞いてみると、施主の自治体などからの直接のクレームは一件もないと言うことであった。
 思えばアスベスト問題は、かってのエイズ薬害に似ていないか? 問題ありと察していながらそれ以外の有効手段が見あたらないと言うことで、業界も官側も多寡をくぐって情報を公開しない。その内に大問題化して慌てふためく。アスベストにしても、設計者や施工サイドには公表資料で判断する以外の情報を得る手段がない。アスベスト業界があえて儲け主義に走ったとは言わないが、最近はどの業界にも企業にも想像力がいささか欠如していて、結果判断を間違えているようだ。
 我が国には昔から「天下一」の思想があり、我が社こそは天下一とかわが業界は天下一とかモこの商品こそは天下一とする視野の狭い、例えば村一番の力持ち的な傾向を呈していないか。常に世界を相手に、様々な面で「比較」して言うのでなければという点に反省が在りはしないか。
 アスベストを含んだ吹き付け材が、経済的にも施行的にも絶対無二のもの、つまりは天下一として他を顧みる(というよりは、顧みたくない)ことなく、市場を席捲している内は売りまくるという形而下的思想のみが働いていたはずだ。いささかでも支障が出た材料ならば、その及ぼす影響を深く洞察する想像力、つまりは形而上的思想が何時からビジネスの世界から喪失してしまったのか。多分高度成長経済のもたらしたマイナス因子の影響であろうか。
 これを書いている最中にも、耐震設計の偽造問題がクローズアップしてきたが、これも他の経済的不正や社会的不正と同様、官側のお墨付きをバックにした想像力の欠如以外の何ものでもない。
 司馬遼太郎がいうように我が国以外では、好い悪いは別としてキリスト教やイスラム教或いは儒教などが社会原理あるいは生活原理として日常の生活に働いている。しかし歴史的にみて我々日本人はは釈迦や八百よろずの神、イエスまでも生活イベントに置き換えてしまい、儒教などの生活規範も論語読みの論語知らずのままで済ましている。
 しかしながら、そのような社会原理に阻害されることなく我が国は高度成長も遂げてきたが、バブルもはじけ民営化の波と共にコスト競争の社会が到来した今、社会原理の無さに加え職業的良心すら喪失してしまって、何でも有りの拝金主義に陥ってしまっていないか。
 高度成長時代に培ってきた技術を、次の代に伝承していこうとするのを理念として、サーツは成立しているが、その高度成長時代の澱のようなマイナス面ばかりが、伝承すべき世代に横行する今日、技術の伝承に加えて、いいものを創ろうとする技術の背景に在るフェアー精神をも伝承しなければならないということか・・・・・・。

アスベスト禍に思う  小須田廣利
 15年前に設計した、相模原の小住宅の住まい手であるMさんから、先日お電話をいただきました。内容は、わたしの家の外装は全面が波型の石綿スレートですが、アスベストのために解体しなければいけなくなるでしょうか。そして私達の健康への影響はどうなのでしょうか。との2点の不安に関する問合せでした。
 そこで設計者は、石綿スレートの建築物は街中に無数とありますので、解体しなければならない事にはなりません、そしてWさんご家族の健康への影響ですが、駐車場などの柱や梁に吹付けられたアスベストが問題なので、固形化されたスレート類は剥離しませんので空気中に飛散する事は無いと言われていますから安全です。ご心配はいりませんと答えました。
 しかし、15年経ったスレートが全く剥離しないで安全な状態であるとは、設計者としてとても考えられないのが本心なのです。

アスベストの施工経験者として  筒井 勲
 40年ほど前に、劇場新築の現場で毎日浴びるほどのアスベストの吹きつけの真っ只中に居て、駆け回っていた。鉄骨の耐火被覆、楽屋裏の居室の吸音材としての吹付け押えの直天井、階段の段裏の吸音材などなどである。それも思い起こせば青い色をしていた、当に名代の青石綿に違いない、そろそろ発病するかもしれない、未だ自覚症状はないが。
 吹き付けアスベストが禁止された時、禁止の理由について話し合ったことを覚えている。
 「アスベストを吸うとどうゆう病気になるのか?」 「肺がんになるらしいよ」 「日本人で誰か発病した人はいるのか?」 「ぜんぜん聞いたことない」 「あんまり気にすることないか」てなところであり、当に危機感ゼロであった。日本国中、役人も当事者もこの危機感ゼロの雰囲気で 一応ひとまず禁止したに過ぎない実情である。
 農村では戦前から田圃の鳥追いのために石綿を張り巡らし、きらきら光る白石綿を利用していたのを思い出す、学校の理科実験の石綿の網、車のブレーキなどなど生活に密着して色んな所に使われていた。アスベストは急に極めて危険なものになった、日本中が急性アスベストヒステリー症候群に罹かっている。

アスベスト禍に思う  中澤明夫
 6月末の突然の新聞報道に驚かされた。
 構造設計を永年やってきた身にとって直ぐに思い当たるのが,鉄骨造耐火被覆の石綿吹付けと工場の屋根・壁に用いた波形スレートである。
 耐火被覆は,1975〜88年にかけて,アスベストを含む吹付けが段階的に禁止された。しかし,施工現場では吹付け材が飛び散り,先が見えないほどモウモウとした中に居た印象が強い。
 工場建設では,社会が急速に成長する中でローコストと短工期が求められ,波形スレート葺きの鉄骨山形ラーメンが主流であった。構造設計を進める上で,平面規模と軒高あるいは天井走行クレーンの容量・揚程さえ分かれば,詳しい意匠計画図は要らなかったほど多くの数をこなした。その中の何棟かは経年劣化にともない,外壁や屋根からアスベストが飛散しているのではないかと気懸かりだ。
 スレート製造会社の社宅の新築にあたって,基礎工事費の削減のため洪積粘性土上の中間支持層に杭で支持させ,その実建物の圧密沈下計測をお願いした。実測の2例目であったが,予測計算値とよく一致した実測値が得られた。この会社の家族の方が,子供の頃工場の隅で,キラキラと光るきれいなかけらで遊んでいたと話されている。尼崎,クボタ神崎工場の近くでの事だが,何ともつらい話だ。

アスベスト問題の課題  山口陽二
 石綿障害予防規則の制定(H17.7)の直前からマスコミはじめ世の中大騒ぎとなった。更なる過ちを犯さないためにも、これからの慎重な取り組みが大事である。
アスベスト対策は吹き付けアスベストから
1.建物内に吹き付けアスベストが使われているのではないかと不安→吹き付け材のアスベスト含有分析(1%を超えているものがアスベスト扱いの工事となる)
2.吹き付けアスベストが使われていたならば、室内にアスベストが浮遊してないか不安(アスベストを吸っているのでは)→空気中の石綿粉じん濃度測定(参考:大気汚染防止法の敷地境界基準10本/リットル、現在建物内の安全基準はない)
3.空気中にアスベスト粉じんが浮遊している場合は、除去工事を計画するアスベスト処理業者が少ないことから、思い通りに工事は進まない、石綿粉じん濃度を監視しながら工事の順番を待つのも一つの方法
吹き付けアスベストの処理工事は安全が第一
1.吹き付けアスベストの処理工事には、最低限確保しなければならない時間がある。時間を切り詰めすぎるとアスベストの飛散は防げない。
2.現在使用中の建物では、使いながらの工事が見受けられる。今後は、万一のことを考え、人がいない時の工事が必要
3.アスベストの飛散は目に見えるものではない。
工事に対する一般市民の関心も高くなっている。工事の監視の意味からもゼネコン独自の環境測定(石綿粉じん測定)が必要
アスベスト含有建材について
1.アスベストを含んだ建材は非常に多い。従来、石膏ボードにはアスベストは使われていないとされていたが、最近公表された資料によると、アスベストを含んだものがあり石膏ボードにも処理対策が必要になった。このことから、確認を行わないと石膏ボードのリサイクルが出来なくなった。また、リサイクル工場は、意図せずアスベストを飛散させていた可能性がある。
1.アスベスト含有建材の中には、破砕されると脆くなりアスベストを飛散するものがある。処理に当たっては十分な注意が必要である。
アスベストの処理問題は社会全体での取り組みが必要
1.アスベスト処理業者は少ない、処理対策には30年から50年必要と言われている
2.アスベストに関する技術者が少ない(日本石綿協会でアスベスト診断士の養成開始)
3.アスベスト廃棄物が膨大→処分場が足りない
4.代替品の安全性
 アスベストについて思いつくままに書きました。

リスク管理の問題として検討する  伊藤誠三
 1961年学部卒業以来,ずっと設計畑にいて,20年ほど実施設計の仕上表も書いていたから,アスベスト含有の材料も多く使っていたに違いない.鉄骨造の耐火被覆材,吸音用の吹付け材,不燃の化粧板等に広範囲に使用されたが,どの商品にどのぐらい含まれていたか不明のことも多い.
 当時,仕上材料として有用なものとして理解し,特にその害について思い及ぶ事はなかった. 発がん物質として,欧米では規制を始めたという記事も読んだような気がするが,その頃,発がん性物質として話題になった食物の着色染料と違って,直接口にするものではないと思い,その製造過程又は施工過程での粉塵の吸引被害に思いを致す事もなかった. 固定化された物という意識があったように思う.
 戦後,技術開発が建築ブームとあいまって,さまざまな新建材といわれるものが登場した.それらは様々のテストを経ているが,耐候性,耐久性,耐火性などの物性にかかわるもののみで,その毒性,危険性に関する項目は殆どなかったように思う.開発・発展の経年変化で廃棄物が問題化され,総合的に産業廃棄物として扱われるようにもなった.毒性を持つものの処理に関して,六価クロム,ダイオキシン,フォルムアルデヒト等が新聞紙上に取り上げられることも頻繁である.これらの諸問題は同根のことであろう.
 リスク管理という言葉が出てきたのは1996年暮れに起きた在ペルー日本国大使公邸占拠事件のときではなかったか. その時,いろんな解説,評論,提案があったが,現実面でどのような対応策が実現されたのだろうか.その後もJCOウラン転換工場での臨界事故,関西電力の原発事故,JR西日本の列車転覆など,人為的ミスが原因の事故が多発し,最近では建築構造設計者の耐震強度偽装問題が発生した.
 リスク管理の考え方の範囲は広い.末端で発現する現象が会社,更に社会を揺るがす要因となっている.
 今回の問題を機に,建設産業全体における危機管理のあり方,それを管理するシステムの構築に取り組むよう提言したい.