超高層集合住宅 -本格化する都市型高密度住宅に思う-
最近、新聞の折り込み広告に超高層集合住宅が多くなった。売れ行き好調との記事もある。又、そのお陰か、都心部の住民人口が増加に転じたらしい。しかし、記事の多くはディベロッパー寄りのもので、超高層集合住宅のあり方とか是非についての話はあまり聞こえてこない。もう既定の事実として認知されたからだろうか、それとも、問題がまだ表面化していないからだろうか。サーツ会員の方々には、すでにこの分野での深い経験をお持ちの方が多い。世論に先駆けて、この新しい動きに対するご経験、ご感想の一端をお聞きすることにしました。(編集担当)

わが国超高層集合住宅の歴史的視点・・・・・浅野忠利
超高層集合住宅の定着の道筋を振り返ると、様々な想いが浮かんでくる。霞ヶ関ビルで超高層ビルが華々しく登場し、急速に普及したのに比べ、超高層集合住宅は静かな登場と着実な歩みであったと思われる。しかし、現在、超高層住宅の居住空間の質の向上を果たしてきた超高層集合住宅の構工法は病院やホテルや事務所建築などに水平展開されようとしている。このように、ようやく欧州のように集合住宅を支える技術が建築界を先導する時代となってきた。
 超高層集合住宅の系譜を省みると「芦屋浜高層住宅プロジェクト提案競技」がその狙いどうり、超高層集合住宅の定着の端緒となった。この提案競技は、丁度30年前の1972年に実施されたが、当時の建設省が主導する住宅産業振興のための一連の提案競技の集大成に位置づけられていた。わが国の産業を担う127の大手企業が22の企業グループを編成し、25の提案が寄せられた。競われた内容は企画・計画・設計・生産・管理に至る広範なもので、3400戸の集合住宅とその団地を形成するために必要な諸施設が対象となった。
 約8ヶ月にわたる提案期間に1提案について数億円を費やしたといわれ、高層住宅団地の形成に必要なノウハウや技術の集大成が図られ、その後の住宅産業発展の基盤が形成された。実施案として選ばれた提案は、鉄骨のフレームにプレキャストコンクリート版の4階建ての中層住宅を組み込むことにより超高層住宅を構成するもので、1979年完成した。
 これをきっかけに1980年代には比較的建設費を低減し易い鉄筋コンクリート(RC)造による超高層集合住宅がブームを呼んだ。こうした超高層集合住宅普及の要因として、一般板状の高層集合住宅に比べ超高層集合住宅の高層部は倍近い面積当りの売価を達成できたことが挙げられる。
 しかし、RC造による超高層集合住宅はコンクリートの塊に取り囲まれた重苦しい居住空間を背負うこととなったが、この重苦しさから超高層集合住宅を開放したのが、スケルトン(躯体)・ インフィル(仕上・設備)の分離というビルディング・システム(SI集合住宅)と超高層免震の出現である。スケルトン・インフィルは躯体と仕上・設備の構工法上の分離を明確にし、仕上・設備の可変性を高めることにより躯体の長寿命化を達成しようとするもので、これによりそれぞれの生産合理性を追求することを可能としている。このうち躯体において、超高層免震の導入により梁の無いフラットスラブが可能となり、可変性、開放性の高い豊かな居住空間が現実のものとなった。
 この構工法は低・中・高層建築物にも、住宅以外の用途の建築物にも適用の範囲を広げ、集合住宅において培われた技術が建築界を先導する時代が到来しつつあるのを、感慨を以って、思う今日この頃である。
芦屋浜高層住宅

次世代型の超高層集合住宅を期待します・・・・・石福 昭
都市の立体的利用

 1999年、世界人口は60億人を突破しました。そして、現在もこの増大を続けています。また、都市への人口集中も急速です。この現象を放置すれば、都市はスプロールし、都市周辺の環境は急速に侵食されて行きます。このスプロールを防止し、この豊かな自然環境を損なうことなく、この巨大な人口を収容する住みよい都市を提供するためには、都市の集約化と高密度化は避けることのできない道なのです。そして、この集約化、高密度化した住みよい都市を実現するための有効な手法が都市の立体的利用です。そして、超高層集合住宅は、この都市の立体的利用を可能にする技術の一つなのです。
日常化した超高層技術
 わが国における超高層建築の先駈けは、1968年に竣工した「霞ヶ関ビル」でした。筆者は、わが国の第2の超高層建築といわれる「世界貿易センタービル」の建設に参加しました。当時、40階を超える建物は、わが国では未経験な分野で。その技術は、主として米国で発達した超高層ビル技術の移転でした。。以来30数年、超高層オフィスビルは、わが国では、すでに日常的な建物であり、その技術も一般化しています。
再登場した超高層住宅技術
 この超高層オフィスビルの技術が住宅に転用され、わが国で本格的な超高層集合住宅の建設が゙始まったのは芦屋浜高層住戸からでした。この超高層集合住宅は、反省期ともゆうべき低調な時代を経て、最近、また再び活発に建設されるようになりました。この再登場した超高層集合住宅は、1986年に竣工した大川端パークシテイのように、集約化、高密度化した都市に優れた住環境を提供する立体的利用技術の象徴となっています。
在来技術の克服
 ところで、いま続々と建設されている超高層集合住宅のプロトタイプは、先に述べた「霞ヶ関ビル」などの超高層オフィスビルでした。また、この超高層オフィスビルの成立要件は、その経済性でした。そして、この経済性の鍵の技術は、各階の反復性と画一性です。超高層オフィスビルは、高層化するほど反復性、画一性が増加し、その経済性は向上するのです。現在の超高層住宅も、この反復性と画一性を鍵の技術として成立しているのです。したがつて、この鍵の技術を克服しない限り、本来の豊かな住環境を提供する超高層住宅は実現しないでしょう。この克服により次世代の超高層住宅が実現するのです。それは、反復化と画一化ではない、多様でフレキシブルな空間でなければなりません。
 在来技術を克服した、次世代の新しい超高層集合住宅の実現を期待します。

超高層住宅について・・・・・小畑晴治
超高層住宅が特殊なものかどうか、あるいは人間の住まいとして相応しいかどうか、これまでも何度か訪ねられたことがある。公団で、10数棟の超高層住宅の設計に関わり、フォロー調査なども行なった経験を通して、住居計画上特に大きな問題を感じたり、不安や懸念を抱くことは特になかった。
 超高層住宅のプラス評価としては、なんと言っても『開放感』と『眺望』である。これまでの生活や住まいに一区切りつけて、新しい再出発をしたいという人にはぴったりのようである。建物のアイデンティティ(=「ランドマーク性」)の強烈さは、大都市の中で埋没しがちな個人に心理的な活力を与えるのかもしれない。板状の超高層より、塔状の超高層の方が好まれることも、このあたりの理由ではないかと思われる。
 敢えて、懸念を挙げるとすれば、「高周波音の遮断性」の問題である。過去に、街中の高層住宅の10階と5階に、それぞれ2年間、5年間住んてみた経験がある。暗騒音レベルの高い街中の高層階では、雨だれの音や地面の虫の声がほとんど聞こえない。どうも季節感や界隈の情緒というものから遠ざかってしまう気がした。高層になると耐風圧のためガラスの厚みが増すことが大きく影響するようである。防音サッシ付き住宅の場合も同じかもしれないが、この高周波音の遮断を問題視する専門家の指摘に共感したことがある。超高層の上層部では、この現象が際立ってくるはずである。
 今一つ、超高層故の問題ではないが、分譲超高層住宅の場合の懸念である。超高層という形態故に、戸数規模が極めて大きくなる点と、非常用エレベーターや自家発電設備など高度設備が多い点である。わが国の分譲集合住宅はほとんどが「区分所有権方式」となっており所有者に管理上重大な責任が伴うことになるが、不慣れな人が多いのが実情である。少しづつ顔見知りになって、ようやく管理組合が機能し始めるケースも多い。類似のケースを参考に、管理上のトラブルや緊急修理の対応が少しづつ学習されることがあるとも聞く。しかし、超高層住宅では、緊急対応の度合いが全く違ってくるし、金額的にも高額な一次出費が必要となる、参考事例や専門家も極めて少ない。従って、管理のプロに全面的に任せる、必要経費を惜しまない、というような対応が不可避となる。意思決定や合意形成の遅れや乱れが大きな問題とならなければよいのであるが。

超高層住宅について思うこと・・・・・小見康夫
東京の人口は、バブル崩壊後の1990年代前半は減少傾向にあったが、1996年に増加に転じ、現在過去最高を更新中であるらしい。その主な要因は、転入者が転出者を上回る転入超過であるが、特筆すべきは区部における20代後半から30代の転出超過が大幅に縮小したことにある。つまり、かつては結婚や子供の誕生を機に住居を遠く郊外に求めた層が、晩婚・少子化や住宅価格の下落により、都心近くに住み続けるようになったのである。これらの傾向は今後も当分の間持続すると考えられており、超低金利時代と相俟って、分譲マンションの供給ラッシュを生む大きな原動力になっていると想像できる。しかし、高齢化が急速に進むわが国にあっては、同時に毎年の死亡数も増加し続けている。そのため現在の東京の人口増加は、2010年頃には減少に転じるものと予想されている。
 これらは東京を例にとった話だが、都心部の人口増加に伴って新しく床面積が必要とされるのは、せいぜいあと10年に満たない期間でしかなく、その意味においては、今後も継続的に超高層マンションなどの大型供給が必要だという論は成り立たない。しかし、既存住宅におけるストック改良や中古市場の育成が円滑に進まないとすれば、住み替え先として、当分の間は超高層住宅などによる新規の大規模供給がバッファとなる可能性はある。またこれを極端に押し進めれば、都心部の住宅ストックを徐々に高層〜超高層へとシフトさせていく姿も想像可能だが、現実的とは思えない。
 実際にどうなっていくかは、やはり地価や金利・税制など、経済の論理に負うところが大きいだろう。建築的に云々というのは、残念ながらそれらの大勢が決した後の話でしかないのは、これまでの都市の変貌を振り返ってみても明らかである。しかしそれではここでの趣旨である「超高層住宅の是非」に応えたことにならないので、個人的な考えも付け加えておく。
 私が現在住んでいるのは、3年ほど前の新築時に越してきた3階建ての賃貸マンションだが、周辺のほとんどは低層住宅で、歩いて10分位の場所には昔ながらの小さな商店街が軒を連ねている。一方、車で7〜8分行くと東京でも有数の巨大ニュータウンがあり、高層マンションが林立している。また最近、そことは別に超高層マンションが近くに完成した。個人的にはそういった高層・超高層マンションに住みたいと思ったことはないが、さりとてそれらが都市の景観上、あるいは住民の健康上問題だなどと主張する気もない。問題なのは、そういう自分が週末ともなると、家族とニュータウンの中心部にあるショッピングセンターで買い物や食事をしたり、超高層マンションの近くにできたレンタルビデオの大型店に行ったりするのがお決まりになっており、近くの商店街では決して買い物や食事をしていないことである(これは私と同じマンションに住む人たちにほぼ共通のようである)。つまり、新参者にとって、昔ながらのコミュニティはほとんど機能していないに等しく、それよりは新たに開発されたインフラの方にドライな利便性を感じているのであり、都心部における高層住宅の魅力の多くは、案外その辺にあるのではないかと思ったりもする。逆に言えば、転入超過や高齢化が続く東京が現在直面しているのは、既存のコミュニティをどう再構築していくかという問題であり、それらが解決されない限り、建物の高いの低いのを議論しても始まらないのではないかと思っているが、さて答えになったかどうか…

超高層、住んだことはないですが・・・・・松村秀一
 今から思えば、ヨーロッパを中心に高層住宅(「超」はつかない)批判が盛んに行われた直後の時期だったのだろう、私の学生時代には「集合住宅といえども接地型を目指すべきだ」と教わった記憶がある。集合住宅の設計課題においても、私たち学生の提案は、教授陣に評価されそうな低層高密のプロジェクトがほとんどだった。住戸間で界壁を共有し、ヒューマンスケールな共用の屋外空間を持つ、せいぜい3階建て程度のタウンハウスの類を提案したものも目立った。
 実際当時の学生が読んでいたような専門雑誌では、そうした低層高密で接地型の集合住宅プロジェクトが輝きを放っていたように思う。でも、その後そうした低層高密接地型の集合住宅が都市部でのハウジングの主流として根付くことは決してなかった。オープンスペースと界壁等を世帯間で共有するタウンハウスは、あくまで世帯毎に独立した不動産所有にこだわる消費者マインドに引張られ、ミニ開発の戸建住宅地に敗北をきっしたし、住戸の集合の仕方に細かくも豊かな芸を求める低層高密接地型の集合住宅は、それとは比べものにならない位単純な箱型の高層マンションに取って代わることができなかった。そして、今では都心部での地上げの後に超高層マンションが次々と建てられている。売れ行きも好調だと聞く。
 ただ、若い頃に受けた教育のせいか、東京にいようが、上海や香港に行こうが、やはり低層高密接地型のハウジングの方が正解に近いように感じてしまう。香港の超高層集合住宅の生活が豊かなものでなかったとはとても言えないし、ヨーロッパの低層高密接地型集合住宅の中には、30年ほどの間に手の付けようがないほど荒廃した例も見られる。しかも、私自身は超高層に住んだことがない。だから、低層高密接地型の方が正解に近いと感じることの明確な理由を他人に説明することはできない。1980年代に超高層マンションでは子供の自立が遅れるというような研究結果が報告されたこともあったが、私の感覚の確からしさを明かしてくれるほどの根拠にはならない。
 今一つだけ言えるのは、高度な構造技術やヘヴィーデューティな設備で支えられている超高層マンションが、実は、異なる世帯間の共有や共用の面倒臭さ故にミニ開発の戸建住宅に負けてしまった低層高密な集合住宅よりも一層共有、共用ということに対する理解と経済的な負担を求めるのだということ。そして、そこに住む多くの人がそのことについての覚悟を持ち、そのこと独自の豊かさを発見できるかどうか。超高層マンションの行く末はこの問いに対する住民サイドの答えで大きく左右されると思う。

あなたは超高層に住みたいですか?・・・・・伊藤誠三
 「超高層集合住宅」と考えて、数年前、サバンナで見たアリ塚を思いだした。ずいぶん高層で高密度な居住集積だ。地下に迷路を張り巡らす蟻の巣が一般的と思うが、地上に超高層の塔を建てているのは、太陽の熱を集めて幼虫の成育に必要な温度を確保し、雨の侵入を防ぐ目的なのだそうだ。人間の超高層住宅にはどんなメリットがあるのだろう。
 都心に住空間を確保する手段として積み上げると言うのが主目的だろうが、外部に空地が生まれるという代替条件ながら、そんな余裕を持って建てられたものは殆どない。密集居住の根拠は職住近接,都市的施設の利用の便という事になろうか。町中に住んでいる、群れの中にいる安堵感と言う精神的なものもあるかもしれない。
 ベッドタウンとして郊外に建設された集合住宅と、都心の超高層集合住宅の違いを考えてみると、考察の詳細は省略するが、先ず、 住民の構成に大きな違いがある。 生活方式のパターンの分類として大まかに、朝8時頃から6時頃まで働く人を標準人口、学生等,労働人口ではないが生活時間帯が似ている人を準標準人口、非労働の人、サービス関係の人など生活時間帯が大きく異なる人々を特定人口として分類してみると、ベッドタウン住民には標準人口が圧倒的に多いだろうし、都心部の超高層では特定人口がかなりの比率を占めるものと思われる。更に、住居以外の目的の利用も多い。つまり集合住宅と言ってもその構成、使われ方が複雑、異質になっている。
 殆ど均質な住民構成と思われる郊外の集合住宅ではアクセス階段毎の居住グループも小さく、コミュニティも形成されやすいだろうが、超高層の場合、中央のエレベーターに全ての移動が集約されており、それを多人数の異質の住人が共用し、利用時間帯も異なるとなればコミュニティ意識の形成も難しい。又、居住意識の差と言う事になれば、 自己所有、賃借で建物に対する意識も異なる。都心部では賃貸住居も多い。
 集合住宅に住まうことも一般的になって、時も経つのだが、 欧米の様に住まい方の意識がまだ、文化として根付いたとは思えない。 改めて、 マンション管理適正化法が制定されたりして、またまた官製のリードがないと自らの共住意識で、運営する事もまだまだ難しい。 居住人の交代を経て、建物の老朽化、費用の分担等の問題改善意識が表面化する事で、漸く自衛組織としての共住意識が生まれてくるのだろうと思う。
 私は18才で生家を出て、その後、 4、5年毎に転居を続け、 国の内外、居候、借間、自作家屋、低、中、高層の集合住宅と多くの居住形態を体験してきた。 一方、 私の弟はもう還暦を過ぎたのだが、生れた家に住み続けている。改めてその相違を観察してみれば、 住まいのあり方について、 何かが分かるかもしれない。
 ハワイの高層ホテルでは海側の部屋が値段も高く、好まれる。しかし、高層のコンドミニアムの住人には海側のユニットでは高齢者の自殺もあり、 むしろ山側が好まれると言う。夜になって、海鳴りだけが聞こえる闇と対峙しているのは不安が強いのかもしれない。 眺望が良いと気楽な事をいっているのは若年の短期滞在者の気分だけなのだろうか。
 日本での超高層居住は始まったばかり、もう少し時間が経たないと問題点ははっきりしないのだろうが、考えるべき点は多そうだ。 技術先行で可能性を追求するあまり、人間生活のあって欲しい条件から遠くなってしまうことのない様にしたい。人生のどの時期に住むのが良いのか、どのような条件を良しとするのか、入居の前に十分な考察と判断が必要だろう。