「鉄骨の接合」・・・・前田親範

 戦後の鉄骨史の中で、私がこの目で実際に観てきたのは、東京オリンピックの翌年の昭和40年(1965)から現在にいたる36年余りであるが、東京オリンピックから昭和45年の大阪万博へ向けて、「鉄骨の接合」はリベットから溶接や高力ボルトへと大転換を遂げている。
 戦後から、と云うより戦中・戦前を通じて、鉄骨の接合はリベットであった。戦艦大和もリベット作られ、スカートジョイントと云って重ね合わせた鉄板を斜めに削ぎ、皿リベットでつないで、魚雷を跳ね返すため300 mm厚まで重ねていた。勿論、アーク溶接もあったが、現在のような技術的な信頼を得るまでには解決しなければならない多くの問題を抱えていた。
 電弧溶接(アーク溶接)が日本に伝わったのは明治37年(1904)で、まだ100年も経っていない。当時は鋳鉄の傷を直すのに用いられ、大正時代になると造船分野で偽装金物類の接合から実用化が始まり、海軍は大正10年に全溶接船を建造している。
 建築分野で電弧溶接が用いられ始めたのは大正14年で、日本郵船ビル補強工事(松尾鉄骨橋梁株式会社で工事)の二次的な部材の一部に用いられている。
 松尾橋梁株式会社の創始者の松尾岩雄氏は、大正11年にドイツから輸入したホイストクレーンの接合部に着目し、大阪高等工業学校(現大阪大学工学部)の井口庄之助博士の教えを請い、電弧溶接の実用化に取り組んだ。溶接工の育成、溶接切片の荷重試験を繰り返し、昭和2年に全溶接の自社工場を特例で申請したが、溶接に対する理解がなく認可されなかった。昭和5年には、井口博士を始め内外関係者を200人の招き、全溶接建築の認可に向けての公開試験を行い、溶接の強さを証明して法令改正を訴えている。しかし、我が国初めての全溶接工場が完成したのは、更に6年後の昭和11年の4月であった。
 私が松尾橋梁に入社したのは昭和40年、配属は設計部建築設計課で、来る日も来る日もリベットの丸印を描いていた。当時の鉄骨は高さ31m以下で超高層ビルはまだなく、材料もH形鋼などまだなく、ビルも工場もアングルとプレートの組合せであつた。アングルにはリベットを配列するためのゲージラインがあり、5分のリベットは60ピッチ、6分は70ピッチなどと描き込んだものである。このリベットが昭和45年の大阪万博の後はすっかり姿を消してしまうことになる。理由は超高層ビルや高張力鋼、H形鋼の出現、リベット打ちの騒音等いろいろ背景はあるが、高力ボルトの普及と溶接技術の進歩発展とである。
 もう少しリベットについて述べたい。私は個人的にはリベット接合は素晴らしい構法と考えている。リベットは片側に頭を作った棒鋼を700~800度で真っ赤に焼き、鉄骨に明けられた穴に差し込んで当盤で頭を押さえ、反対側からテッポー(リベットハンマー)で打ってもう一つの頭を作る。タンタンタンがカンカンカンに変われば打ち上がりで、棒鋼は穴いっぱいに充填され、冷えるとリベットはぎゅっと縮んで鉄骨をカシメる。リベット打ちは「カシメ」とも云われ、鍛冶屋の花であった。
 ここで、戦後の鉄骨史の中から、私が観ていない東京オリンピックまでを年表から拾い上げてみる。特に「鉄骨の接合」に着目したが、この20年間でリベットから溶接や高力ボルトへの凄まじい変遷の下地が作られている。
・ S21 日本鉄骨橋梁統制組合、建設鉄構工業会として再発足
・ S22 工業標準調査会、建築物の構造計算告示
・ S23 建設鉄構工業会、鉄骨橋梁協会として新発足
   JES、電弧溶接工資格検定制定
・ S24 (社)日本溶接協会発足
    工業標準化法公布(JESからJISに移行)
・ S25 日本建築学会、構造計算基準制定
・ S26 米国で「高力摩擦ボルト接合設計基準」作成
・ S27 JIS、溶接用圧延鋼材の規格制定(SM41、SM41W)
・ S28 建築工事標準仕様書「JASS 6、鉄骨工事」制定
・ S29 JIS、溶接検定における試験方法ならびにその判 定基準制定
    国内初の高力ボルト接合の橋梁を施工(国鉄高山線角川トラス橋―松尾橋梁)
・ S30 JIS、金属材料の放射線透過試験方法制定
    国内初のHT50を使用した溶接橋梁を製作(神奈 川県宮城野橋―松尾橋梁)
・ S31 通天閣再建―鉄骨を松尾橋梁製作
・ S32 技術士法、公布
・ S33 日本建築学会「鉄骨鉄筋コンクリート構造計算基準」制定
    東京タワー完成―鉄骨は松尾橋梁と新三菱重工業とで製作
    国内初の高力ボルト接合のビル施工(ブリジストンビル)
・ S34 計量法施行(メートル法に全面移行)
    JIS、溶接構造用圧延鋼材制定(SM41A,B,C、SM50A,B,C)
・ S35 建設省、建築にSM材の使用を認める告示―高張力鋼時代の到来
・ S36 建設省、高力ボルト摩擦接合に関する告示
・ S37 日本建築学会「溶接工作基準」制定
・ S38 建築基準法改正(建築の高さ制限を撤廃)
・ S39 JIS摩擦接合用高力ボルト等に関する規格制定
    東京オリンピック開催 の以上であり、その後は我々の良く知るところである。
 溶接技術の進歩発展は、溶接に適した鋼材や溶材の開発、溶接機器の進歩や溶接工の技量向上、検査方法の確立や設計面・法制面での整備が伴わなければ出来ない。上記の年表にあるS35から高張力の溶接鋼材の使用が認められ、高張力鋼時代へ向けてCO2半自動溶接、サブマージアーク溶接、CES溶接等の溶接の自動化が進み、昭和40年頃からは溶接は実施工事で広く使われ始めている。そして、昭和45年の大阪万博には各社競って溶接技術を駆使し、私の在籍していた松尾橋梁でも東芝IHI館のパビリオンでは、CES溶接を駆使し、現場継ぎ手も全て現場溶接で施工している。(写真―1)
 鉄骨の接合は工場内だけでなく現場での接合も必要である。東京オリンピックの後になると工場内では溶接が主役になりつつあり、リベット工の減少する中、現場接合に高力ボルトが登場することになる。
 高力ボルトは米国では戦前から研究され、我が国では昭和28年頃から研究が始まり、30年代になると各大学から次々に研究成果が発表されている。松尾橋梁では各大学の先生方の御指導を仰ぎながら実験段階から係わり、素材に炭素鋼(S35C)を使用し、ボルトやナット、座金の製作、締めつけ工具の開発にも協力しながら、昭和29年には国鉄高山線の角川トラス橋、鉄骨では昭和33年には東洋レーヨン三島合成工場で実験的に使用している。
このように述べて行くと、「鉄骨の接合」はリベットから溶接や高力ボルトへ、短期間にスムーズに変換された様に見える。が、その実、数多の問題を乗り越えての結果であった。
 例えば、高力ボルトF11Tの遅れ破壊である。JIS B1186ではF11Tにはカッコが付いており、「なるべく使用しない」の註がついている。高力ボルトは低合金鋼を調質して作られるが、引張強さ120kgf/mm2を超えると遅れ破壊が起きやすく、引張強さ110~130kgf/mm2のF11Tをなるべく使用しないとした。私も涙を流しながらボルトを全量差し替えた経験がある。溶接にもあった。冶金的な問題や溶接品質である。現在は溶材や鋼板の品質も向上し、また施工面でも適正な開先形状や溶接条件が研究され標準化が計られている。
 しかし、技術の革新は日新月歩である。戦後67年、この2/3世紀の間に「鉄骨の接合」はこれだけ変わった。あと何年この目で観れるか分からないが、新しい「鉄骨の接合」を観たいものである。
・ 参考文献 : 松尾橋梁株式会社 社史