「基礎の変遷―杭の設計・施工の歩み」・・・・・加瀬善弥

 昭和37年入社以来40年弱この間基礎設計・施工法の変化も大きく、自分の経験を通した杭の設計、施工の概略変遷を書いてみたい。
既製杭
 昭和37年、東京オリンピック開催のため、東京は工事が盛んに行われており、その多くが既製杭の打込み工法で、騒音と振動に包まれていた。2年後、神宮球場に隣接して地下にボーリング場をもつ大規模な球場計画がもちあがったが、計画とは程遠い小規模なスタンドを持つ球場となった。
 当時はRC杭が多く使われていたが、H鋼の打込み杭を採用した。
 昭和40年代初めアルミ精錬工場が盛んに建設され、今では全くみられないペデスタル杭5)の使用、地盤の安定・強度向上に地盤改良などに取り組んだ。この頃からPC杭が多く使用されるようになり、品質・工期の面からこれらの現場でもPC杭に変わっていった。また既製杭の継ぎ手にボルト接合が出現したが、その後溶接に変わっていった。
 昭和47年頃支持層が約50mと非常に深い競馬場の建設では、初期のオートクレーブ養生した高強度杭(AC杭)を使用、埋立地で地盤沈下の影響を考慮して設計した。
 昭和43年振動規制法、同51年には騒音規制法制定、この前後から既製杭の施工に関する技術開発が進み、埋込み工法9)、拡大根固め工法10)、油圧ハンマーによる打撃工法など、多種の工法が開発され、改良発展現在にいたっている。
 杭の種類では昭和40年頃からコンクリートの圧縮強度を高くしたPHC6)杭、負の摩擦力に有効なSL杭7)、50年頃曲げ耐力の大きいSC杭8)、60年頃PHC杭のPC鋼棒に鉄筋を補強したPRC杭がでた。
場所打ちコンクリート杭
 昭和29年から37年にかけ外国からオールケーシング工法、アースドリル工法、リバースサーキュレーション工法などの場所打ち杭4)が導入され、入社早々アースドリル杭使用の建物の設計を担当したが、その当時は現在と比べると鉄筋量も非常に少ないものであった。振動・騒音の規制法により場所打ち杭4)は盛んに使われ、改良をかさね、最近ではコストダウンのために先端部を拡底する杭工法、地中障害物、大きな転石、岩盤の掘削可能な全回転オールケーシング工法が使われている。
杭の設計、地震被害
 昭和39年の新潟地震では液状化により建物が転倒したり、橋が脱落した。
また各地で建設工事が多くなり、地下水の汲み上げで地盤沈下を生じ、杭が地中に引き込まれる現象(負の摩擦力)により不同沈下が発生し、建物に大きな被害を与えた。
 昭和50年ごろ、軟弱地盤と言われる支持層が深い土地での建設計画が多くなり、杭の設計をどうすべきか、社内に研究会が設置された。この成果を活用して横浜、広島で地盤の良くない場所でのビルを設計した。いずれも場所打ち杭で地盤沈下による負の摩擦力、液状化、杭の水平抵抗力を考慮して設計した。
 昭和53年の宮城沖地震ではPHC、PC、RC杭の被害が大きく報じられた。常時はともかく、地震に対し杭の水平抵抗力を検討することは一般の建物では殆んどされていなかった。昭和59年日本建築センターより「地震力に対する建物の基礎の設計指針」が発刊され、建設省の通達で一定規模以上の建物に、杭の水平抵抗力を検討するよう行政指導がでた。しかし平成12年の基準法改正で構造計算が必要な全ての建物にたいし、杭の水平抵抗力を検討することになった。
 昭和60年頃から地中連続壁11)の仮設土留め壁・杭だけの利用から、二方向土圧壁、耐震壁などの本設に利用可能な工法開発に取り組んだ。また浮上りや転倒防止に有効な本設地盤アンカーの開発を手がけ、京橋、銀座のペンシルビルに適用、いずれも敷地が非常に狭く浮き上がりを抑える地下部の重量がなく、アンカーで抵抗するようにしてある。同じ頃、開発済み技術、深層セメント混合処理による耐液状化対策、軟弱地盤を低強度コンクリートに置換する(ラップルコンクリート)地盤改良等への利用方法に携わった。
 平成7年の阪神淡路大震災ではまたも杭に被害を生じた。これら多くの建物は杭の水平抵抗力を検討していなかったし、岸壁近くで液状化による地盤の移動(側方流動)による杭被害がでたが、地盤改良した建物には被害がなかった。
 平成13年10月に改定された建築学会発行「建築基礎構造設計指針」では、使用限界、損傷限界、終局限界に対し、基礎の沈下量を予想し各限界に対しその沈下がどうか、どの限界に対し設計するか、設計者の判断に任せている。
 基礎の設計は、理論・施工法をよく理解していなければならない。このことを今後も若い人に伝えていきたいと考えている。

基礎に関する変遷(概略)        注)矢印→は継続を示す